今回の投稿は三郎が父芳一に宛てた葉書。
入校後約一年が経過し「待望」の兵科が発表された事を知らせている。
解読結果は以下の通り。
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冠省 其の後お変りは御座居ませんか お蔭様で私
は風邪も引かず元氣にやって居りますから御安心下さい
さて待望の兵科が発表されました 私は予期の如く地
上兵科です(地上兵科中の細部は未だ先のことです)
ですから又當分予科に残る事となりました すぐ航空士官
學校の方へ行くものもあります 惜別の情に堪えないもの
があります 次の外出日は二月十一日 紀元節 其の間三週間
待遠しい事オビタダシイです 小包(十三日提出された)未到着
(廿日現在)です まだ日数がかかるとおもいます 試験も本日(廿日)
をもって終り成績は良好です 試験の終った喜はどこでも同じですよ
では早速お報せまで 草々
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冠省(かんしょう):「手紙の時候の挨拶などの前文を省略する」という意味で手紙の冒頭に使われる頭語。
結語として「草々」「怱々」「草々」「不一」が使われる。
これまで気付かなかったのだが、葉書の消印が「大和」となっている。
振武台(陸軍予科士官学校)は埼玉県北足立郡朝霞町である。ひょっとすると振武台からの通信物(手紙・葉書等)は一旦(神奈川県大和市に隣接している)相武台(陸軍士官学校)に移送され再度検閲されて発送されていたのではと思いググってみたが真偽の程は解らなかった。
また、一年程前の入校当時の郵便物は大体3~4日で配達されていたのだが、この時期になると一週間~10日程要しており、空襲等による戦況悪化が交通機関へも大きな影響を与えていたと思われる。
扨て、陸軍予科士官学校入校からほぼ一年が経過し、三郎「待望」の兵科が発表された。
予想通り?の「地上兵科」となったが細かい兵科区分は未定との由。
飛行機好きの三郎は本心では「航空兵科」に進みたかったのではないかと思うが、以前「船舶兵となって(故郷三次に近い)宇品へ行きたい」と云っており思惑通りだったのであろう。学年試験の首尾が良かったこととと合わせて安堵している様子が伺える。
この後三郎たち生徒は約半年間程各兵科に分れて専門教育を受けてから、本科(相武台)へ入学するのだが、実際にはこの後半年間は終戦までの混沌期間であり実際に予定通りに入学したかどうかは不明である…