昭和16年6月8日 長男(康男)の現況報告

松山高商自動車班

 

昭和16年6月8日 康男の手紙①
昭和16年6月8日 康男の手紙②
昭和16年6月8日 康男の手紙③
昭和16年6月8日 康男の手紙④

今回は便箋四枚の大作。数ヶ所??な部分があった。
解読結果は以下の通り。

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大分暑くなって参りましたが、皆様御変りありませんか。
小生は相変わらず元気です。やっぱり暑くなると目方が減
って来るのは争えませんが、今年は昨年の様な失態を演
ずる様なことはありませんから、どうぞ安心していてください。
一昨日は松前町というところの東洋絹織の見学を致
しました。スフ・人絹工場で相当大規模なものですが、
今年出た先輩が職工と同じ菜葉服で妙な志那兵
みたいな帽子を被って、やかましい、暑い、綿片の一ぱいの
各工場を案内して呉れるのを見て、少々考えさせられ
ました。こんな工場へ入れば、最初は職工と同じ様
に各工場で一通り実習するらしいです。
どこでも、ですが工場は健康にはあまりよくない様です。
金融業の筆頭たる銀行なんか、真実非常に楽
ですね。大して創意の発揮は出来ないかもしれ
ませんが、現今の社会状態に於て専門学校出位で
自分の意志によって経営をする、という様なことはちょっ
と無理な話ですね。中央銀行といえば確かなこと
  ※余白に追伸のような書込みあり。
 (蓮池のオバサンが東京より帰られましたので、すみませんが御手紙を差上
げて下さいませんか。僕が厄介になった御礼だけでいいですから。)
此上無いですからね。僕みたいなのが結局一番幸福
なのかもしれません。未だ、先生から何も通知があり
ませんので、何んとも報告の申上様がありませんが、
まあ焦る必要も無いことと思います。大体夏休み
以降に於て取決めらるべきことなのですから、欲張るの
も我慢な話ですからね。大概大丈夫らしいですから
安心している様な訳ですが、万一の失敗?があったと
しても悪しからず御諒承下さい。ふつつか乍ら日銀
へ推薦された位ですから、今の世の中、落着いて、だまっ
ていても会社の方から雇いに来ますよ。こんなことを言
ってえらい呑気に構えている様ですが焦ったって仕様の
ないこと。最善を盡して天命を待つのみです。
が、重ねていう様ですが大抵大丈夫でしょう。日銀は最初
一、二か月は実習といいますか、事務の講習ですね。
それの為、東京へ行くらしいです。本社へ全国から専門学校
以上の卒業生たる新入行員が集まる訳です。
先日遂に本棚を買いました。結局十円近くしました。
整理がつかぬので仕様なしに買ったのですから、決して
不用品では無いと思います。卒業後の必要なもので
すから。卒業してからの勉強は相当重要なる役割
を成すものではないでしょうか。先日金融関係の本
二、三冊買いましたが、インフレ悪性への徴をみせている
今日、専門書の高いことは驚くばかりで、結局御父さんの
負擔になるのですから心苦しいですが仕方がありません。
明後日ゼミナールでは僕の研究発表がありますので
発表事項の整理に大童です。題目は「ディールの信用
理論」、昨夜は二時過ぎ迄。十数名の前で意志
発表を行うのは仲々いい経験になると思います。
自動車も相当練習してちょっとした運転手ですね。
同封の写真は敬のカメラで芳野君が撮影して
呉れたものです。ダットサンもちょっと綺麗でしょう。
二百円也には見えないでしょう。修繕代が四百円ですか
ら六百円ですかね。練習はとても面白いですよ。
他の班より少々経費が余計掛かって、班員の負擔が多い
のが難点です。近来は教授連が子供みたいに
のぼせてしまって授業がすむとすぐ飛んで来て乗る
ので、班員は迷惑此上なしですよ。下手なくせに
一人で乗ってよく毀します。練習用自動車は此の
写真の小型でなしにフォードの中型車でやっていま
す。県廳の保安課の技師が本校の講師をしていまし
て、ガソリンから自動車から色々と便宜です。県の自動車
の親玉ですからね。マンドリンの方も近来練習して
近々放送する予定です。僕共で四人、先日四日の
六時からハーモニカは放送しました。
先月末御送付の五拾円中、先月分経費として十円
余り、本棚 十円、参考書 八円、自動車班費 二円、
食券(晝食用) 五円、その他支出致しました。
右、日曜日の午前、気持よき微風に頬をなでられ
つつ、御報告致します。            敬具
六月八日                康男
御両親様
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先ず、3行目の”争えませんが”に難儀した。母親が病弱な事を意識しているらしいが、体重の減少を”血のせい”と云っているとは思わなかったのでなかなか読めなかった。もっともこの1年前に体調を崩して(肺炎か?)療養した事があるらしく、そちらの方を指しているのかもしれない。

最終学年でもあり就職活動の一環らしく繊維織物工場の見学に行ったようだが、父親(小生の祖父)が銀行マンであったことから本人も銀行への就職を目指していたようで、”菜葉服”や”妙な志那兵みたいな帽子”とか工場現場での作業を少々バカにした眼つきで見ている様子が伺える。

1枚目の13~14行にある”銀行員なんか〇〇非常に〇ですね”の部分はよく解らなかったが、多分”真実”と”楽”ではないか…。間違っていたら御指摘乞う。ただ、これが正しければかなり強烈な父親への嫌味になると思う。

学校から日銀へ推薦されたようでそんな事も手伝ってか結構テングになっていたのかもしれないが、実際に翌年明けに東京の日本興業銀行で入行講習を受けた時の手紙もあるので受かったのかもしれない。しかし実際にはその後は陸軍に召集されて銀行マンとしては活躍出来なかった。

後半は楽しいキャンパスライフの様子が書かれている。当時既に自動車班なるものがあったことに驚いた。冒頭の写真はその様子であるが、今も昔も変わらぬ若者らしさが伝わってくる。因みに上の写真には裏書があって”怖しき喜劇”とのタイトルが記されている。
他にもマンドリンやハーモニカそして本分である勉強の話をして、父親へのお金の無心も”仕方ないんですよ~。”とやんわりアピール。やっぱこの伯父さん長男だわ。(藁)

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。