今回の投稿はちょっと変わった内容である。
三郎が麻布の写真館で撮影した写真が届かず、葉書でその旨を写真館側へ連絡した事への返信である。
解読結果は以下の通り。
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拝復 昨日お端書届どきましてびっくり
致しました。お写真着きません由、おくれ
ましたが五月十三日に発送致して着きました
ものと思って居ました。もう一度おしらべ下さい
まして、有りませんでしたら、お面倒様
でもお一報願います。早速おつくり
してお送り申上げます。
何かとお手数かけまして申し訳有
りません。 敬具
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今日でも配達物の紛失は当然あるのだが、「追跡システム」などと云ったハイテクなど存在しない当時は紛失や誤配の確率は高かったのではないかと思う。(明確なエビデンスがないので個人的な感想として述べるにとどめる)
スマホやデジカメの無い当時の「写真の紛失」は今日のそれとは比較にならない程の「事件」であった筈であり、況や家族や友人から「早く送れ」と催促されていたであろう三郎にとっては「一大事」である。
しかしこの件に関する葉書はこれ一枚だけなので、この後の顛末は判らない。
見つかったのか、再度現像してもらったのか…
そしてこの時撮ったであろう三郎の「晴れの写真」も残念ながら小生の手許にはないのである。
それにしても「麻布の写真館」とは何ともハイソな感じであるが、実は康男や三郎がお世話になっていた芳一の知己のお宅が麻布にあったので自然と近くの写真館になったと思われる。
因みにググってみたところ加治写真館さんのあった「霞町電停前」は現在の六本木通りと外苑西通りの交差する西麻布交差点辺りなのだが、ストリートビューで見ると首都高高架下の駐車場にベントレーやロールスロイスが何台も停めてあるとんでもない場所のようである。
加治写真館さんのその後も少々気になるところではある…
カジ写真館さんはカタカナ表記で平成の初め頃までは同じ霞町の交差点の近くで営業されてました。漢字で加治だったのは初めて知りました。学生証の写真を毎年春に親からお金を貰って撮りに行っていました。1500円位だったと思いますが蛇腹の大判の写真機で乾板を入れ替えて二枚撮ってくれて、値段にしては寧ろ贅沢だと思っていました。大人になったら子供の頃からの自分のネガを全部引き取りたいと秘かに思っていたので、いつの間にか廃業されていたのを知った時はとても残念でした。
港区男子様
コメントありがとうございます。
ajoromiこと青盛と申します。
加治写真館さんの逸話を伺えて嬉しく思います。
確かに「平成」は写真屋さんにとっては大変厳しい時代だったのかもしれませんね…
最近は殆ど更新しておりませんが、今後とも拙ブログよろしくお願い致します。