終戦後二ヶ月ほど経過した頃、芳一の許に支那事変及び大東亜戦争に於いて戦死した町内の英霊の町葬を行うとの旨の「殉国勇士町葬執行ノ件」と云う報せが届いた。
ガリ版印刷と思われるが、少々読み辛かった。
解読結果は以下の通り。
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昭和二十年十月十九日
三次町長
三原芳一殿
1殉國勇士町葬執行ノ件
志那事変及大東亜戦争ニ於テ名譽
ノ戦死ヲ遂ゲラレ候 御英霊ニ對シ来ル
十月二十八・九・三十日ノ内適当日時ヲ決定
町葬執行可致計劃ニ有之候条右御
準備置相成様致シ度及予報置候也
一、追テ日時確定セバ通知可致候
二、殉國勇士ニシテ種々ノ関係上御遺
骨其他遺留品等ナク町葬当時
對照トナルベキモノナキニ於テハ最適
当ノモノ選定御呈示相成度候
三、遺品等適当ノモノヲ御遺骨ニ代
ヘラルル場合ハ特ニ手持品ニテ木箱ヲ
造り白布ヲ覆ヒ尊厳ヲ失ハザル
如ク手配セラルル様致度候
四、町葬当日ハ町内會長又ハ隣組
長等御遺骨出迎ノタメ参堂ノ
予定ニ有之候
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まだまだ大混乱の真っただ中であった筈であるが、我が国を未曾有の国難から護らんと命を懸けて戦いながらも武運拙く名誉の戦死を遂げられた英霊を町をあげて弔うのである。
生き残った国民の多くが生きるか死ぬかの状況下にあるにも関わらず、日本全国でこの様な合同葬儀が執り行われていたのである。
なんと日本らしい光景ではなかろうか…
因みに用紙は戦時中の大蔵省のチラシの裏が使われている。