昭和19年4月24日 三次中学同級生Mさんから葉書 陸士受験迫る

 

今回も三次中学同級生からの葉書である。

前学年(四年生)の時に受験した同級生の合格結果が新たに報されるなか、数週間後には今年度の陸士受験が始まると云った異常事態である。
受験生の心中や察して余りある…

昭和19年4月24日 三次中学同級生Mさんからの葉書

解読結果は以下の通り。

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拝啓 【砂田(九州帝大付属工専)、斎藤(同じ)、広畠(東京電機校)
へ合格す。乱筆御免。祈大奮斗。】
三原君、永らく失礼した。俺も大元気で来るべ
き決戦(入試)に萬全を期している。先づ朗報
を知らせよう。吾々新五年生は、四月中旬大竹
海兵団に短期入団して帰校した。そして海兵団の
長所を採って自発的に三中改革を断行した。
即ち、先づ汚つた便所を徹底的に美化し、その美
化掃除、郷士報国隊による二列登校等
を始め、先日、校長閣下より賞詞を戴いた。
三次中学から陸士へ九十一名、海兵五十三名受験する。躰
に気を
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最後が突然途切れた形になっているのは、この葉書が往復葉書で続き部分が復信部分に記されていたが、三郎が切り離して使用したためである。

受験に失敗して落ち込んでいる暇など一ミリも無い。
学校の授業時間ですら勤労作業に変更され、勉強する時間さえ奪われている中での受験である。
冒頭にも触れた様に、当時は学徒動員のため大学、大学予科、高等学校高等科、専門学校若しくは実業専門学校に於て六ヶ月の修業短縮が実施されており、軍関係学校に関しては十八~二十年度まで受験~入学時期が繰上げられている。
三郎たちの世代はこの影響をもろに受け、修業短縮だけでなくそれまでは年間四ケ月であった勤労動員が将にこの昭和十九年の三月から通年動員に変更されたことに伴い、三郎の同級生たちも呉の海軍工廠などへ長期間動員されている。

※詳細は以下文部科学省のHPにて参照頂きたい。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317693.htm

大竹海兵団の威力恐るべしである。
先日投稿したMOさんの手紙にもあったが、相当絞られ影響を受けたのであろう。
海兵団に比べ我が母校のたるんでいる部分が目について我慢できなかったようである。
まぁ、確かに便所は綺麗でなければいけないと思う…

 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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