今回は長男康男が帰省間近の三郎に宛てた手紙。
自身の出征を匂わせる部分もあり、康男の身辺も急を告げてきた様である。
解読結果は以下の通り。
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拝啓 酷暑の砌、相変らず精励の
事と思う。家の方も其後共々変り無し。
敬も別に心配する点も無し。芳子は
真黒になって作業に水泳に頑張っている。
兄さんも相変わらずだ。今月三十日は許可されて
帰宅。英気を養っている。
戦況急迫でどうなるか分らんが、来月十三日
頃帰宅出来ればと思っている。久方振り
に一家内揃いて話し度い。俺もそろそろ御腰(ミコシ)を
上げる時が近付いた模様だ。では元気で
待て。 早々
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「許可されて帰宅」して認めているのだが、この戦局重大時に帰宅を許可されるのは恐らく出征が決定したのではないかと考えられる。
前回三郎に宛てた葉書から五日しか経っておらず「早く三郎と逢って話がしたい」と云う気持ちが伝わってくる。
当時(昭和19年5月頃)の写真があるので投稿しておく。
因みに①の裏書には
「昭和十九年五月十九日
㋴学生
暁南丸実習 多度津上陸の折
琴刀比羅宮参拝」
とあり康男が当時陸軍の秘密部隊であった輸送船団の将校であったことが判る。
恐らくこの輸送船団の作戦行動での出征が決まったのであろう。
軍人として鍛えられていたとは云え20代の青年である。
何度も言うが現代の我々には想像し難い精神状態であった筈である…