前回の三月三日の日記の中にあった模型飛行機に関する記述について。
小生も知らなかったのだが、当時小学校~旧制中学校では”模型航空教育”という教科があり、模型飛行機制作やグライダーでの滑空訓練等の教育が行われていた。勿論、航空機(戦闘機)の自国開発製造を行う上での国策であった。
特に昭和16~19年頃までは空前の模型飛行機ブームでこの間に1000万人の児童・生徒がこの教育を受けたらしい。
したがって当時の青少年は非常に航空機への関心が高く、それに関する知識も豊富であった。
三郎も御多分に漏れず飛行機が好きだったようで、以前の投稿にも上げたように落書きで戦闘機(ゼロ戦?)を書いたりしている。(冒頭に再掲載)
また、中学三年の時には模型飛行機の滞空時間を競う大会で三等に入賞して表彰されている。(賞状添付)
蛇足だが、第三学年、三原三郎、三等、第三回、十一月三日、三次中学校と”三”が7個もある賞状も珍しいのでは…。
今後の投稿の中にも出てくるが、約一年間の教育期間を終えると航空兵科と地上兵科とに分かれて進学するのだが、やはり航空兵科が人気であった様子である。但し、学力以外にも高い身体能力が必要とされたため、地上兵科に比べ難易度は高かったらしい。
「たまにはこんな天気のいい日に模型飛行機翔ばしたいなぁ~」無邪気な少年の一面が顔をのぞかせている。