前回康男が所属していた陸軍船舶司令部の矢野部隊から届いた「死亡告知書」及び「遺骨交附ニ関スル件通牒」を投稿したが、芳一は悲嘆に暮れる間もなく「わが子の最後」の状況を知るべく矢野部隊長に「申越し」を返信していた様である。
「実は特事態発生の為」の部分はちょっと自信が無いが他に適当な語彙を見つけられなかった…
解読結果は以下の通り。
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御閲覧後 焼却下され度し(本状のみ)
拝復
再度御状拝誦 御心の中
拝察仕り候 お申越しの件
実は特事態発生の為 資
料は凡て焼却仕りし故 残りし
ものの中より判断せし部分のみ
御通知申上候間 何卒御宥
免ヒ下度く候
時下暑気去らず切に御自愛
ヒ過度く候
敬具
九月八日
矢野光二
三原芳一殿
追伸
残務整理の為 小官以下少数の者のみ残り居る
現況につき 万事意にまかせず御諒承を乞ふ
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「御閲覧後 焼却下され度し(本状のみ)」
とあるが、封筒にはもう一通「生死不明トナリタル迄ノ経歴」が同封されていた。
「焼却下され度し」とは占領(米)軍の進駐の際に余計な書類・資料が発覚するのを恐れた為と思われるが、芳一は焼却しなかったので「本状」はこうして残っている。
康男と同様に輸送船諸共撃沈され生死(亡骸)不明となった部下将校は相当数に上るが、今日の様にパソコンなど無く、しかも終戦直後の大混乱の軍部での残務整理は重要書類や武器等の処分などで多忙かつ煩雑を極めたであろう時に、その一人一人に対して手書きの「生死不明トナリタル迄ノ経歴」を書いたとすれば大変な作業である。
然しながら矢野部隊長以下残された部隊の方々が、戦死した多くの部下将校の「戦死の状況」を親族へ報せる為に書類を何枚も何枚も書き続けたのは生き残った者としての責務を強く感じていた為に違いないであろう…
次回の投稿でその
「生死不明トナリタル迄ノ経歴」
をご覧頂く。