昭和19年7月25日 康男から三郎への葉書 戦局悪化の中「御前とも逢える可能性が増大した」…

 

今回は直近に広島への再配置転換となった長男康男から三郎に宛てた葉書。

逢えないと思っていた三郎との再会が叶いそうになった喜びを「可能性が増大」と表現している。

 

昭和19年7月25日 康男から三郎への葉書

解読結果は以下の通り。

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拝啓 愈々暑さ厳しき時候となったが、
其後元気で精励しているか、待望の
休暇も近付いて大いに張切っている事と
思う。兄さんは都合でまた広島へ帰る事
になって廿日からこちらに来ている。
家にもチョット帰って来た。広島はどうも
縁が深い。又当方御厄介になる筈。
御前とも逢える可能性が増大した訳だ。
体に充分気をつけて、逢える日を待っている。
早々
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何故康男が四国への転隊直後に再転隊で広島へ戻って来たのか本当の理由は不明であるが、以前の投稿にも記した様にこのひと月程まえに日本軍がサイパン島での戦いに敗れ「絶対国防圏」を突破されたことで一層の戦況悪化を招いた事が関係していたのではないかと考えられる。

しかし皮肉な事に、その結果おそらく逢えないと思っていた三郎と逢える「可能性が増大した」のである。

葉書では「逢える」と云う言葉を遣っている。「会える」ではなく…
「会う」は単に「顔を合わせる」とか「集まる」と云った意味で用いられるが、一方「逢う」は「大切な人」や「強い思い入れのある人」とあう場合に使われる。

遠く離れた場所(陸軍予科士官学校)へ行ってしまった三郎とは「もう二度と逢えない」と康男は思っていたのであろう…