昭和14年7月13日 長男(康男)夏休み帰郷の連絡

今回は前回の手紙から一週間後に出されたもので、勤労奉仕の進捗が良く一日早く帰郷できる嬉しさを綴っている。元々は字の綺麗な人の筈なのだが、嬉しさのあまりか或いは時間が無かったのか今回の手紙の文字は多少殴り書き気味の様で難読ワードが多かった。

小生の解読結果は以下の通り。

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拝啓 お変わり御座居ませんか。
僕も勤労奉仕ですっかり黒くなって毎日一生懸命心身の
鍛錬をしています。最初の予定では十五日迄ある筈
だったのですが、作業があまりに早く進捗したので、
明日十四日限りとなりました。みんな喜んでいます。
高専の生徒でも実によく働きますよ。実際感心ですね。
如何に時局とは謂く中等学校以上にやりますよ。
いささか面喰いますよ。とにかく明日丈となると、みんな
帰心矢の如き防人心、ワァって歓声っをあげました。
僕の帰省も一日早くなる訳です。十日市着
十五日午後六時0二分か七時二十八分で帰るつもりです。
なるべく早く帰るつもりですが、遂に明後日は久しぶ
りで、お父さんお母さん、弟達の顔、そして生まれ故郷の山
河がみられる訳です。それ迄どうぞ元気で。 早々
                         康男
御両親様
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二行目の”黒くなって”は最初”逞しくなって”かとも思ったが”しんにょう”には見えないので”黒の…”の方にした。続く三行目も”予定”がちょっと解らなかった。
真ん中(八行目)の”明日丈”を”あしただけ”と読むのも発見だった。元々そう云う意味なのか当て字的な遣い方なのかどっちだろう。
今回最大の難解ワードは9行目の”帰心やの如き〇〇〇”である。三文字なのか二文字なのかもよく解らない。とりあえず帰郷したい一心と云う意味で”防人心”と意訳しておいたが、解る方いらっしゃったら御教示頂きたい。小生はギブだ。

内容から勤労奉仕には商業高等学校だけでなく専門学校や中等学校からも動員されている様子がわかる。小生が小学生の頃にもたまに”勤労奉仕”っぽい学校内での作業はあったが、当時のはガチのやつでボランティア性などゼロだっただろうから本当に疲れたことであろう。現代では考えられないしあったとすればPTAや児童保護団体等が黙っていないだろう。でもたまには小中学生できれば高校生にも多少の勤労奉仕をさせても良いと思うけどなぁ…。

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。