74回目の終戦の日
小生は「ヒロシマ」と云う環境で生まれ育ったこともあり、「戦争」には多少敏感であったのかも知れない。
と云うのは、幼いころから身近に戦争(多くは被爆)体験者がいらっしゃったことで、特に構えることもなく”体験談”を耳にすることができ、間違った歴史(自虐史観など)に惑わされることが少なかったと思うからである。
小学校1~2年生の時の担任は被爆された女性で、当時「まだ身体中にガラスの破片が残っている」と仰っていて、機会あるごとに原爆の惨状を幼かった小生たちに話して下さった。
遠足や社会科見学などで何度か「平和公園」に行ったが、「原爆資料館」を見学する度にクラス皆が神妙な面持ちになった記憶がある。
先日当ブログにも投稿したが、中学~高校生の頃通っていた私塾の先生は、旧制一高~東大という超エリートコースを通った本当の「愛国者」であり、時には過激な表現をされることもあったが、今考えれば正しい史実を教えて下さったおかげで誤った歴史史観を待つことを免れることが出来たと大変感謝している。
「原爆の日」と「終戦の日」も夏休みの真っ只中ではあったが、どちらも「その時」にはテレビの前で正座して黙祷をする特別な日であった。
そして何より当ブログの主人公でもある母(芳子)、祖父(芳一)、伯父(三郎)の存在が大きかったであろう。
彼らは特に戦争や原爆について細かく話してくれた訳ではなかった(むしろその辺りは敢て話さないようにしていた感もある)が、終戦以前の「日本人の精神」を知らず知らずのうちに小生に植え付けてくれていた。
あれから40年以上が経過し昭和~平成を経て令和となった今年、還暦を迎えたのを機に祖父・母からの遺品を繙きながらこのブログを制作する中で、永らく忘れていた「日本人の精神」が蘇るとともに更に新しい気持も生まれてきた。
先の戦争に関しては賛否様々な意見があるが、どの様な意見であれ日本人ならば「戦争反対」は共通していると思う。あくまで「日本人ならば」…
ただ、一部で主張されている「日本人は好戦・侵略的で残虐」と云う意見は承服できない。
確かに日本人が戦時下に於いて残虐な行為を全くしなかったとは言い切れないが、そのような行為は他国と比べて少なかった可能性はあっても酷かったとは到底考えられないからである。
理論的な検証は他の多くの優れたサイトで説明されているのでここでは割愛するが、それらの検証とは別に「当時の一般人の生活」を手紙・葉書・他資料を読み解くことで「日本人は好戦・侵略的で残虐では無い」と云う事実を感じ取って頂く為に始めたのが当ブログである。
始めて間もないブログであり、まだまだ先は長いが
「沢山の方々に”日本人の精神”を感じ取って頂けるよう精進せよ!」
と云う母の家族たちの”檄”が聞えてくる今年のお盆である…