今回は長男康男が四国へ転隊後すぐに出した葉書。
康男は宇摩郡三島町にあった暁二九四〇部隊矢野部隊(陸軍潜水輸送教育隊・通称マルユ部隊)に配属された様である。
肉体的にも精神的にも疲れていたのであろうか、文字も多少「殴り書き」の様である…
解読結果は以下の通り。
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拝啓 本格的な夏を迎えんとする候と
なったが、其後どうだ。訓練も暑さの砌、
仲々苦しい事と思うが、今緊張を欠いたら
今迄の苦心も水の泡となる。大いに自粛、百戒。
体には細心の注意を要する。八月ともなれ
ば帰省の機会もあるとの事。家では楽しみ
にして待っている。小官、本月初め当地に転じ
て新しく服務している。田舎はおおらかで、
仲々よろしい。帰郷して御前と会える
機会を今から待っているが、どうなるか分らん。
とにかく充分体に気をつけて頑張るべし。
早々
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康男の新しい住所は
愛媛県宇摩郡三島町字中ノ庄○○○○方
となっている。
現在の四国中央市の三島中ノ庄辺りであろうか。
当時帝国陸軍は戦艦や船舶をほとんど失っていた帝国海軍に頼らず自力で戦線へ物資を輸送するために中型潜水艦マルユ(○の中にユ)を極秘で開発・製造しており、康男はその潜水艦の運用任務にあたったと思われるが、この同時期に暁二九四〇部隊矢野部隊は小豆島に「陸軍船舶幹部候補生隊」を設置し「海の特攻隊」と呼ばれた通称マルレ(○の中にレ)艇の訓練を開始しておりそちらの作戦行動に関与していた可能性もある。
小生、これまで「特攻」と云う史実についてそれなりに理解しているつもりであったが、今回肉親である康男(大叔父)がこの「特攻」に関与していたかも知れない事を知るにつけ、これまでとは違った視点からこの「特攻」を知らなければならないと感じている。
「帰郷して御前と会える機会を今から待っているが、どうなるか分らん」
帰郷の予定も定かでなかったのは極秘任務にあたっていたためなのかも知れない…