今回は太平洋戦争開戦から1ヶ月程経った頃の手紙。
小生の解読力もかなり向上したようで今回の手紙の様にある程度丁寧に書かれていれば何とか読めるレベルになって来た。但しあくまで長男(康男)の場合の話で父(芳一)や母(千代子)になると状況は変わってくる。(*´Д`)
注)3枚目10行目にある”貰って”は本当は”口ヘンに花”なのだがこのブログ作成ソフトのフォントに登録が無い様なので”貰”にしてある。
さて、どうやら日本興業銀行に入行したようで(日銀はダメだった様子)東京在住の父(芳一)の知己の所に一週間位厄介になってオリエンテーションを受けたのち、第一ホテルに宿泊しながら実務実習に臨む様子が書かれている。因みに便箋は第一ホテル備えつけのものが使用されている。
解読結果は以下の通り。
注)以下の■■は当時東京在住であった父(芳一)の知人
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拝復 只今速達拝見致しました。愈々本日から第一ホテルに
投宿することにしました。たった今■■様の方へ最後の夕食
を御馳走になりに行ってホテルに帰って、やっと落着いたところです。
御送付になった牛肉でみんなですき焼に舌鼓を打ちました。
当地は牛肉は滅多に買えない様です。■■様の方へも
結局一週間近く御厄介になって誠に御迷惑をお掛けしたことと
思いますが、基本実によくもてなしを受けて全く感謝致し
ています。■■様御夫婦は気分のあっさりした方で、
最初は多少遠慮でしたが、しまいには慣れて遠慮も少く
なりました。兎に角一週間近くも御厄介になったのですから、
僕の方としては精神的にも物質的にも大いに助かった訳です。
御父様の方からも充分に御礼申し上げて置いて下さい。
第一ホテルはさすが東洋一を誇るだけあって八階建の素晴らしい
ものです。室の設備も先ず充分でしょう。洗面所から洋服タンス、
卓上電話、応接用机に椅子、ベッド其他、事務用机等々、
便利なものです。一番安い部屋ですからね。電話で言いつければ
何でも用が足りますし、まあ僕も初めてこんな立派な
宿へ泊った訳で、或いは二度とこんなことも無いかもしれません。
兵隊の方の事、みんな未だ入隊日等決まっていない様で心配し
ています。が兎に角、入ること丈は確かですから幹候問題集、
経理部幹候問題集等を買って少しでも勉強しています。
銀行の方も今日でようやく講演の方がすんで、明日から経理
部長の指導による実務的な実習です。友人も大分出来て
講習も気持ちよく受けています。籍表によりますと
髙商出が二十六名、普通商業が十九名、残りの百数名が大学
で、其中東大が殆どを占めている様な有様で、こんなところもちょ
っと外には無いでしょう。そんな中で仕事をするのですから自然他より
も教養も素性も髙くなる訳だと語り合っていますよ。
廣島縣人は五名もいません。福山の田中君の友達の人達と知合いに
なっています。松山を出て東京へ来ている友達の動静も大分判っ
てきましたので、心強いです。東京も一週間居ると殆ど平気
になります。最初は本当にやせてしまいますよ。気苦労が多いのでね。
今度の経験は実にいい効果を斉すものと思っています。
社会というものに一歩踏出して、沢山の人よりも少なくとも大きな多くの刺激
を貰って僕としては有難い体験だと思います。御期待に副う可く
大に頑張ります。辞令の写し左の如きものです。
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* 三原康男 *
* 書記ヲ命シ月俸金六十円ヲ *
* 給ス *
* 昭和十七年一月一日 *
* 株式会社 日本興行銀行 *
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東京市内の名所も休日が無いので、
殆ど見ることも出来ず、又大して
みたいとも思っていません。もう、一度は
修学旅行で見学していますからね。
然し、まだまだ沢山見ていないところ
がありますから、今度の土曜日曜には見物してみます。
田中君と毎日食事を共にすることにしていますので、都合がいいですよ。
銀行もお互いに近いですからね。第一銀行も実に立派なビルです。
興銀も七階のビルです。大正十二年の落成ですから、あまり新しくは
ありません。第一ホテルはそれに比べるとずっと最新式ですよ。
東京にいると寒さは殆ど感じません。殆ど乗物で動くし、
ビルの中、ホテルの中は寒さなんか問題でありませんからね。当ホテル
には外人も相当泊っています。よく大使館の自動車がやってきます。
僕の部屋は五百五十八号室です。田中君は六百二十三号です。
僕は五階、田中君は六階ですが、歩いてすぐですから、都合はいいです。
お土産は何がいいでしょうか。三越か新宿の伊勢丹、又は髙島屋位
のものがやっぱりいいでしょうね。大したものを買う気もありませんが。
毎朝七時半に電話で起して貰うことにしています。新聞も入れ
て呉れます。安月給取にはちょっとゼイタクな生活ですね。
ではこの辺で失礼します。 早々
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どうやら前回投稿した手紙の中で書かれていた”日銀への推薦”は残念な結果に終わったようだが、それでも日本興業銀行に入行出来たのは立派だと思う。両親もさぞかし喜んだと思う。その証だろうか父(芳一)が東京の知人宅に送った牛肉で”すき焼きに舌鼓を打った”とある。前年の昭和16年には”肉無しの日”が制定されるなど当時牛肉は希少な贅沢品であった。故にその後に”当地(東京)は牛肉は滅多に買えない”とある。それだけ両親の喜びは大きかった。
入行のお祝い・ご褒美なのか当時最新式を誇った第一ホテルに宿泊している。”一番安い部屋ですからね”とはあるが、それでも二十歳過ぎの新入社員が気軽に泊まれるようなホテルではなくかなり奮発してもらったのだろう。
本来は嬉しい新入行時のオリエンテーションの筈なのだが、ここにも始まってしまった戦争の暗雲が立ち込めている。前年末にあった徴兵検査の結果が未だ通知されていない様で、自分だけでなく友人達も入隊日がいつになるのか心配している旨が書かれている。しかし、冒頭の写真にあるように間もなく入隊日が決まり、半月後には入隊する。
明るい未来を掴んだにもかかわらず進みたくない将来へ無理やり引きずり込まれてゆく状況は本当に納得できない辛いものだったろう。当時この様な境遇の若者がどれ程いたのか…。本当に心が痛む。