昭和20年1月31日 三郎から父芳一への葉書 「安の目薬」とは?

 

今回は三郎から芳一に宛てた葉書。

年末年始だからかも知れないが、このところ三郎と実家とのやり取りが多少増えている様子である。

 

昭和20年1月20日 三郎から父芳一への葉書①
昭和20年1月20日 三郎から父芳一への葉書②

解読結果は以下の通り。

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前畧 廿八日出しの御葉書
本丗一日受取りました 色々と御心
配有難う御在居ます 私も
お蔭で風邪も快くなり元氣に
教練に學課に邁進致して居り
ますから御安心下さい 「安の目薬」
の効力偉大か 今の所昨年の凍傷
は全快 以後かからぬ様に注意して
居ります 手の甲はカサカサになって
ヒビの方がきれそうで この方に注意
して居ります 当地は早や二ヶ月以上
晴天が續き空氣乾燥し切って
居ますのです。猛烈に風邪を引き
易く咽喉の方が侵され易い状況
ですから學校等にも注意され稀
に「マスク」をつけさせられたり「ウガイ」ノ励行を叫ばれてゐます 殊にこの學校付近
は猛烈な「ホコリ」が立って一米先が見えなくなり舎内に五粍位「ホコリ」がつ
もることは稀ではありません これから風でも吹きつのると余計です 待ちにまった
小包は丗日(昨日)受取り開いてみて非常に嬉しく感じ家で包みをつくられた状況が
目の前にありありとうかんで来ました 腹巻の方は早速使用してゐます これを
してゐるとお母さんと一緒です 何事も安心して腹に力を入れて出来ます
時々腹の方をなでて見てゐます 内容品其他外部も全然異常ありま
せんでした 念の為にもう一度申し上げますが区隊が変り地上部隊は
第七区隊となりました 心氣一転して大いに張切ってやります 地上兵科
となった以上は大分私の本望兵科に近づく予算が大となりましたから
喜んで居ります こちらはまだ雪が降りません 乾燥一点張りです
明日から二月となりますが昨年の今頃は家で何をしてゐましたやら 私も
この振武臺に来てから早や一年も過ぎんとしてゐます 一刻も早く
将校となって第一線に出て米英をやっつけねばと思えばまだ月日のたつの
がおそい位です 康男兄さんから通信があったら知らせて下さい では又

※赤字は区隊長のコメント
三郎君 一生県命元氣でやってゐます 区隊長
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『「安の目薬」の効力偉大か 今の所昨年の凍傷は全快』とある。
「安の目薬」?
目薬で凍傷全快?
早速ググってみた。

どうやら広島安佐地区の上安と云う所で製造されていた「目薬」なのだが、目薬ではあるが軟膏で下瞼につけ体温で自然に溶けて眼に入ると云う薬で、塗り薬として他の効用もあったようである。
おそらく「凍傷にも効く」と実家から送られてきたものを患部に塗り込んだのであろう。

http://masuda901.web.fc2.com/page5etx28.html

今年はコロナウイルスの影響で「マスク」が生活必需品に定着してしまったが、75年前の陸軍予科士官学校でも「マスク」と「うがい」が必須だったようである。

上州名物と呼ばれる「からっ風」であるが、埼玉朝霞辺りでも猛威を振るっていたのかもしれない。
『気温の低い時期に乾燥し「からっ風」でホコリが舞う』
と云うインフルエンザが流行る典型的な状況だったと思われる。
将校生徒のみならず教官たちも沢山ダウンされたのではないだろうか…

以前の投稿で「戦況悪化の影響で郵便への影響が出ている」旨の事を書いたが、今回の葉書は消印が「2/3」で芳一の手許に届いたのが「2/7」(宛名下部に記載されている)となっており、また葉書の中にも
「廿八日出しの御葉書 本丗一日受取りました」
とある。
広島埼玉間は3~4日で届いており、未だ郵便配達状況の悪化が常態化していたのではなかったのかも知れない。

「康男兄さんから通信があったら知らせて下さい」
長男康男の消息は未だ不明の様である…

 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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