昭和20年2月22日 三郎から父母への葉書 「敵米国が遂に硫黄島に上陸しました」「十九日のB29の大挙来襲」・・・

 

今回は三郎が父母に宛てた葉書。

戦況がますます悪化し敗戦の様相が色濃くなる中、終戦後までの半年間程の通信物はこれを最後として小生の手許には無い…

 

昭和20年2月22日 三郎から父母に宛てた葉書①
昭和20年2月22日 三郎から父母に宛てた葉書②

解読結果は以下の通り。
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前畧 二月十七日出の御母さんの
封緘葉書昨廿一日受取りま
した 家の方には皆変り無いとの事
安心致しました 私も別段変りなく
毎日を過して居ります 敵米国
が遂に硫黄島に上陸しました。
実に憤慨に堪えませんが現
在の所仕方が有りません 硫黄
島より東京迄は鹿児島東京
間に等しいと言われますから空
襲等尚一層烈しくなる事
と予想して居ります 十九日のB29の大挙来襲其の前の
艦載機の来襲共に學校には被害なく学校上空にて
空中戦が展開されました 私達は防空壕の中に退避して空を
見上げて居ります 次に町役場の方より御父さん宛に臨時陸軍
軍人(軍属)届と云うものが来る筈ですがその中に不明と思われ
る所をお知らせ致して置きます 徴集年・・・昭和十八年(コレハ
受験ノ年ヲ書ク様ニナッテイマスカラ)役種兵種官等・・・陸軍予科士官学校
生徒 官等発令年月日・・・十九年三月六日(入校日)部隊編入年月
日・・・十九年三月六日(入校日)部隊編入区分・・・入校 残りは皆父上
でお判りと思います 私の家には康男兄様と二枚来る筈ですね
本日は朝から雪が降りつづけ今では約三十糎積もりました まだ依然
と降ってゐます 三月十一日の外出を楽しみに大いに張切って
やります では風邪を引かれない様に特に出張等されて
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「敵米国が遂に硫黄島に上陸しました」
昭和20年2月16日に米軍の攻撃によって開始された硫黄島の戦いは2月19日の米海兵隊の上陸により激戦の度を増してゆく。
絶対防空圏死守の為絶対に負けられない日本軍の頑強な抵抗に遭いながらも、圧倒的な物資に物を言わせた米軍の攻撃の中で戦闘は一ヶ月続き両軍合わせて4万人を超える戦死傷者を出すと云う大東亜戦争でも屈指の激戦となった。

硫黄島を奪われることは(三郎も手紙の中で触れている)距離的な部分のみならず、B29等米軍機襲来を事前察知したり南方の米軍飛行場にある戦闘機や爆撃機を攻撃破壊するための前線基地を失う事であり、本土空襲に対して「丸腰」になってしまう状況であった。
そして実際に硫黄島陥落後にB29による本土空襲は激化の一途を辿るのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

「十九日のB29の大挙来襲其の前の艦載機の来襲共に學校には被害なく」
学校に被害が無かったのは偶然ではなく、当時既に米軍は対日戦争に勝利した際の占領プランの検討を進めており、陸軍予科士官学校を占領軍の駐留地として確保使用する計画であった為、意図的に爆撃対象から外していたと云う話もあるらしい。

然し、将校生徒とは云え日本陸軍の軍人として中心都市東京の上空に米軍機が襲来する現実を三郎はじめ皆本当に悔しかったであろう…

「陸軍軍人(軍属)届」とは退役後に恩給を貰う際などに重要になって来る書類だと思うが、
「私の家には康男兄様と二枚来る筈ですね」
康男の安否は未だに不明の様である…

 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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