昭和19年7月14日 三次中学親友Mさんからの葉書 海軍工廠の通年動員中に受験勉強

 

今回は三次中学同級生で呉海軍工廠へ通年動員で勤労中のMさんからの葉書。

葉書の消印(19.7.14と思われる)からするともう少し前に投稿すべきであったのだが、小生のミス(-_-;)で前後してしまった。

 

昭和19年7月14日 三次中学同級生Mさんからの葉書

解読結果は以下の通り。

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拝啓 三原君
元氣旺盛にて軍務に精励してゐる
事と思う。自分も元氣でやっとるか
ら安心し給え。早く所を知らせ度
かったんだが今日迄延びてしまった。
許して呉れ。我々受験者は(海軍兵学校)
五日頃から当局の取りはからいで勉強
させて貰ってゐる。全員張切って猛勉
中だ。君は遊泳演習に行ったか。では又。
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呉海軍工廠での通年動員勤労中のMさんであるが、以前(昨年12/29)の投稿でも言って居た通り直近に迫った海軍兵学校の受験に向け当局(海軍?)の計らいで受験勉強に精を出している。
これが海軍工廠でなく当時仲の悪かった陸軍関係の工場だったら受験勉強の時間を与えて貰えたかどうかチョット疑わしい…

差出しの住所は
「呉市阿賀町小倉寄宿舎第四寮三十五号室」
とある。
現在の阿賀公園の辺りであろうか。

明治時代に呉鎮守府が設置されて以来、呉は海軍と共に発展した場所である。
大きな艦船の造船に適した地形である事が大きな理由であったが、その逆に平坦地が少なく街の発展に伴い人口が増えるとその急峻な斜面に住宅が建てられるようになった。
その代表が「両城の階段住宅」であり小生も幼少の頃に住んだ場所である。

両城の階段住宅
https://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/e/5808a705647746a87d2b21919019089b

当時の写真もあったので序でに…

両城の階段にて 左端が小生 昭和36年頃か?

 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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