昭和19年7月22日 千代子から三郎へ 待ち焦がれる「夏休み」…今生の別れとならん事を…

 

今回は千代子が三郎に宛てた手紙。

目前に迫った三郎の夏休み帰省を心待ちにした内容である。

 

昭和19年7月22日 千代子から三郎への手紙①
昭和19年7月22日 千代子から三郎への手紙②
昭和19年7月22日 千代子から三郎への手紙③
昭和19年7月22日 千代子から三郎への手紙④

解読結果は以下の通り。
************************
お葉書ありがとう。折角如何して
居るやらと案じて居りましたが
幸に変りなく毎日元気でやってゐま
す由大変うれしく思います。
家の方には別に変りはありません。
今年は大掃除が七月にありまし
て、十五日が検査日でありました。
十三日はお父様が休んで手伝って
下さいました。十四日は私が一人でやり
ましたが、何かと体を用心しますので
またしてもお父様の手をかります。
づっと母さんも元気になって大掃除
をしてもあまりつかれも出ません。
元の躰になったのでしょう。安心して下さい。
ほんとに月日の立つのは早いものですよ。
まだまだと思っていましたが、七月も二十二日
となりました。一ヶ月もせんうちに
帰省できますかね。
それから康男兄さんは又(十九日)広島
へ帰りました。二十日朝広島で集合
という命で十九日朝帰り終列車
で又広島へ帰りましたよ。
十月頃まで広島へ居るらしいよ。
くわしい事は私もよく存じませんがね。
夏休みに帰ったら面会できましょう。
又下宿の心配せんと前のは外の将校
がかりたそうな。二人居るとか、二十日もせん
のに又帰るとはどうも一寸先も知れ
ません。サイパン島のことを思えば
自分勝手など口に出来ませんね。
三郎様も一日(も)早く一人前になれる
日を楽しみに待っていますよ。
雨が降らんので畠の作物も弱って
居ります。国民学校の校庭は
ナス、サツマイモ、トマト、ナンキン、とても
たいした作物ですよ。
三郎さんも見たらびっくりしますよ。
同級生が居らんから一寸淋しいね。
今朝、管さんに会いました。倉野
さんのおばあさんですが、あの倉野
さんはお休みはないのでしょうね。
もしおあいしたら三次へことづけ
をいたしましょうかと申してみなさい。
敬兄さんの友 野面さんも十五日から
三日ほどあそんで帰られました。
芳子も元気で通学してゐます。
授業するのは一年生と二年生です。
三年生は十日市の飛行機会社
の部分品を作るのだそうです。
お互に負けない様に自分自分の
仕事に精出しましょうね。
三郎さんも暑さに負けん様に
気をつけて勉強、教練をやって
下さいね。板木のおばあさんも
楽しみに待って居られるよ。
三郎が帰ってくればくればとあれもこれも
と約束の用意はしてあります。
みんな待ってゐますからね。
ではこれから夕食の支度を致します。
四時になりますからね。呉ゝも用心してね。
元気を出して勉強するのですよ。
サヨウナラ
母より
************************

三郎の夏季帰省まで一ヶ月足らずとなり息子の帰宅を待ちわびる内容となっている。

大掃除の事、自身の体調の事、芳子や板木のおばあちゃんの事など色々と書いているが、やはり気掛かりは軍人となった康男と三郎の事であろう。
特に康男は出征が近づいており母千代子の心中は察して余りある。

その康男に関する件に
「サイパン島のことを思えば自分勝手など口に出来ませんね」
と記しているが、この一文でここ何度かの投稿に「今生の別れ」的な表現や印象が多く感じられたことに得心した。
サイパン島では直前の6月15日から日米の激しい戦闘があり7月9日の日本軍玉砕によって米軍の占領下となった。
サイパンからは日本本土全域への空襲爆撃が可能となることからこの敗戦は単なる敗戦にとどまらず、日本側から見れば「絶対国防圏」を破られた形となり、結果的に大東亜戦争での敗戦を決定づけた非常に重い敗戦であったと言える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

千代子を含め一般庶民がどこまで「サイパンの戦い」について知っていたか疑問ではあるが(おそらく「わが軍大苦戦も米軍を撃破し…」的な大本営発表を聞かされていたのではないかと思う…)軍人である康男や予科練のFUさん(3/12,4/8投稿)は戦局の悪化状況を実感していたと思われる。
康男が「二十日もせんのに又帰るとはどうも一寸先も知れません」と云う状況になったのも、前回の投稿でFUさんが「これが最後の通信かも知れないから返信無用。さようなら」と記したのも、この「サイパンの戦い」と無関係ではないだろう…

 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA