明治28年 曽祖父三原常一の就職先は第六十六国立銀行…?

 

今回も少々時代を遡って小生の曽祖父(千代子の父)である三原常一に関しての話題である。

前回の投稿で芳一(小生の祖父、千代子の夫)が銀行マンで広島県農工銀行に勤めていたらしいと云う話をしたが、どうやら常一も銀行マンだった様である。

 

雇申付 三原恒(常?)一 明治28年10月2日

解読結果は以下の通り

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        三原恒一

雇申付候也
 但月給金参円給与候事

明治廿八年十月二日
      第六十六国立銀行頭取
        天野嘉四郎
      同支配人
        福原陳興
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要は採用辞令の様な書類であろう。

恒一となっているが恐らく記載ミスと思われる。

この時常一は17歳で当時の学校制度では尋常中学校を卒業したばかりの年齢である。
ググってみたところ、当時六十六国立銀行は本店は尾道市、支店は広島市と福山市にあったようであるが、常一がどこに配属されたかは定かでない。

ただ、この4年後の明治32年の写真が遺っている。

明治32年地価及地租率改正の際 於三次税務署

これは明治32年の地価及び地租率改正の際の三次税務署執務人員の記念撮影で、上から二段目の右から三番目が常一である。
この写真当時常一が銀行職員だったのか税務署員であったのか不明であるが、案外入行当時から地価・地租率関連の仕事で三次税務署に派遣された様な勤務形態だったのかも知れない。

それにしても当時の国立銀行職員って国家公務員?
だとしたら”ひいじいちゃん”ちょっとすごい(笑)

 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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