前回に続き三次中学の同級生からの葉書であるが、今回は薬学専門学校に合格し進学も決定したYさんからのもの。
志望校に受からなかった無念さと、新たな進路への前向きな気持ちとが入り混じった内容となっている。
解読結果は以下の通り。
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三原君、何時も乍ら僕の心配をして貰って実に済ま
ぬ。僕は昨日熊本薬学専門学校の入校式を済ませ
ましたから前のお便りの返事を兼ねて御報告します。
僕は君が通ってから後は本当に青くなる程無茶勉強を
したものです。だから松高は自信満々たる物があったんだ。
然るに天命は遂に僕をして薬専に入らしめたのだ。今は一刻も
早く学校に入り勉強した方がお国の爲になると思って遂
に入校した訳だ。然し入校の上は君に負けぬ様頑張
るぞ!!君は陸の勇者に、小生は化学報国だ。君がそれ
を使用する時が来る日が待ち遠しい。又、医大に行って
君が勇戦奮闘した体を僕が診てやるのかも分からない。然れ
ども、目的は奉公滅私只一つ!! では又。
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これまで何人か三次中学同級生の手紙・葉書を投稿したが、実際に上級学校への合格・進学が決まった方からのものは初めてだと思う。
熊本薬学専門学校と云えば現在の熊本大学薬学部の前身であり十分に難関であると思うが、目指した松高(旧制松江高校と思われる)は残念ながら突破ならず、悔しさが滲んでいる。
小生などの戦後世代には解らないが、当時の旧制高校とはそれほどまでに憧れの存在であったらしい。
余談であるが、小生が中学~高校生の頃通っていた私塾の先生は、旧制一高~東大という超エリートコースを通った人であったが、常々
「東大なんて大した大学じゃないが、一高は秀才の集まりだった」
と口癖の様に仰っていて、しょっちゅう[嗚呼玉杯(一高寮歌)]をカセットテープで聞かされたものである(笑)。
因みにその先生は公職追放で職を追われ、地元で世捨て人となって私塾を経営されていた。
本来、小生の様な勉強嫌いが入れるようなレベルの塾ではなかったのであるが、小生の出来の悪さを看過できなくなった母(芳子)が祖父(芳一)の伝手を頼って見付けてきた塾であった。
レベルが高すぎてついて行けなくなり高校2年の時にドロップアウトしてしまったが、今ではいい思い出である。