今回は先日無事女学校に合格した妹芳子からの手紙。
入学試験などの影響もあり、約一ヶ月ぶりの便りとなった。
解読結果は以下の通り。
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兄さん、長い間ごぶさた致しました。
おかわりない事とおさっし致します。
私もますます元気で通學してをります。
尾関山の櫻はもうほころびかけています。
十七、八日頃には一せいに咲くように思われます。
女學校の校庭の櫻はもう咲いています。
兄さんの方ではどうですか。
私達はこの十三日十四日十五日は作業で草狩りに行
っています。行先は八次の玉原さんと言う家で、
十四日にはおむすびをいただきました。
女學校は大変おもしろく、又げんかくな所で
す。新しくふえた學科の英語はとてもおもし
ろいです。兄ちゃんの英語の本を本箱から出
して讀んでいます。
朝私は七時頃家を出ます。七時四十分迄に
學校へ行く事になっています。七時半頃學
校へつきます。夕食時に兄さんの思い出話
に花を咲かせて三人でもにぎわいます。
お父さんもお母さんも元気です。
お父さんは庄原へ自轉車で行かれました。
汽車では切府(符)がなかなか買えないので、自転
車の方が便利です。私の元気な所を写真
に写つして送ります。兄さんも早く写真を送
って下さい。 では又。 芳子
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我が母らしい、当たり障りのない文章である。
女学校で新たに教科に加わった英語を「とてもおもしろい」と言っている。
ん?戦時下に学校で英語を教えていたのか?
当時英語は「敵性語」として日本全体で排斥されていたと云うイメージがあるが、実態としては法律などで禁止されたものでは無く、戦争によって高まるナショナリズムに押されて民間団体や町内会から自然発生的に生まれたものらしい。
国民的人気スポーツであったプロ野球に於いて
ストライク ⇒ よし一本
アウト ⇒ ひけ
のように、敵性語から日本語の変更が徹底されたことなどから、国民全体へ波及したような状況を想像しがちであるが、これは極右勢力などから批判されて興行禁止にされることを恐れ、自発的に実施したと云うのが実情らしい。
国会でも「高等教育の現場における英語教育を取りやめるべき」旨の要望が挙がった際に、当時の内閣総理大臣東條英機陸軍大将は「英語教育は戦争において必要」と拒否したこともあった。
時を超えまさに今現在、多少の国交悪化程度で官民挙げ「ボイコットJAPAN」なる国民運動に懸命な隣国もあるが、それに比べて当時の日本は実際に交戦状態にあった中でも、「民」は多少騒いだものの「官」は冷静であったことが覗える。
とまぁ、そんな状況だったので特に気兼ねすることなく「英語」の勉強ができた我が母だった筈なのだが、彼女の「英語」の実力がどれ程のものであったのか、小生は知らない…
あの世の母上へ追伸
「切府✖ ⇒ 切符〇」です。
愚息