今回は当ブログ4回目の投稿となるYさんからの葉書。
以前の手紙で熊本薬専への入学を果たしたYさんであるが、陸軍予科士官学校への想いも捨てきれないでいた様子が綴られている。
解読結果は以下の通り。
**************************
其の後如何と案じている。もう一人前に堂々とやっている
事だろう。慣れた手付きで…。今年もう一回そこを受け
て見ようと思ったが、學業がどっちつかずで中途半端と
なるので取消にした。又、近視もあるから。何にして
も、俺も陸士を憧れていたのだから、此處に帰る以上は
此處を陸士と思い、動作もその様になる様に気を付けて
気合を入れてやっている。勉強の方面は勿論。
専門学校では出身中学を問われる事が多いの
で、三中の名聲を示す可くやっている。君の方は
どうだ。音信不通により一筆致すなり。では又。
**************************
今回の葉書に関しては消印が不明瞭(と言うよりは見えない)であるため、実際にはいつ出されたものなのかはっきりしないのだが、束ねられていた順序或いは陸豫士受験をキャンセルした由の内容から恐らく5月20日頃であろうと判断した。
Yさんは既に熊本薬専への入学を終え熊本の地で新たな学業生活を始めていたのであるが、文面からは昨年に続き再度の陸軍予科士官学校への受験を考えていたがキャンセルした旨が書かれている。
当時、「お国の爲に」と陸海軍への志願が青年たちの憧れとなっていたことは間違いないだろうが、他の選択肢(言い方は悪いが「戦争に征かなくて済む」と云う選択肢)があればそちらを選択するのが人情だったのではないかと思う。
既に学徒動員も開始されており専門学校生徒だろうといつ召集されてもおかしくないが、軍関連の学校に比べれば可能性は低いであろう。
また、化学・薬学の専門知識があれば前線ではなく後方支援部隊等での勤務の可能性もある。
できるだけ危険の少ない環境に行きたいと考えるのは人間としてごく当たり前の感覚であると思うが、国家存亡の危機に直面し多くの若者達が命を賭して戦っている中では、その「当たり前」の感覚が多分に麻痺していた…
この手紙に「三原よ、すまん!」と云う気持ちを感じるのは小生だけだろうか…