昭和16年12月1日開戦直前の砌 長男(康男)から父(芳一)宛の手紙

今回は昭和16年12月1日の手紙なのだが、この時点で”学生生活に別れを告げるべき日も間近に迫って参り…”と早や卒業を仄めかしており実際12月26日に卒業している。
戦前は元来そうだったのかと思いきや、ググってみるとこの”昭和16年”から学徒動員のために大学や専門学校の修業期間が3ヶ月短縮されたのだ。因みに翌年の昭和17年は6ヶ月短縮されたようである。その他にも米・酒類の配給制開始や金属の供出を強要する金属回収令の発令など、国民生活に影響のある動きが大きくなった年である。
当然の成行きとして”徴兵検査”が待ち構えており、今回の手紙の中にも悩み迷う不安な気持ちが吐露されている。

昭和16年12月1日 康男の手紙①
昭和16年12月1日 康男の手紙②
昭和16年12月1日 康男の手紙③
昭和16年12月1日 康男の手紙④
昭和16年12月1日 康男の手紙⑤

今回は5枚に及ぶ”超大作”であったが丁寧に書かれており比較的読み易かった。
解読結果は以下の通り。

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拝啓 その後御変わりなく御送日のことと存じます。
当方も相変わらず元気で暮らしていますから御安心の程願上ます。
扨て愈々十二月に入り、学生生活に別れを告げるべき日も
間近に迫って参り、毎日多忙なる一日を送っています。
十二月に入ったと思うと、現金に寒さが加り、木枯しが我物顔
に振舞い出してきました。師走の感じは街に出て益々切
なりです。本日より実施の増税の為か、それともエビス市の為か、
昨三十日の繁華街の賑やかさは正に歳末を一か月繰上げた
という感じでした。何分一割から二割の値上げがあきらかに
されているので、どうせ費るものなら少しでも安く買う方が得だ
という心理状態は無理もないとは思います。こんなことを
喋々して僕を弁護するという訳でもありませんが、先日の御
父さんへ返事に帽子、ネクタイ、カフス等、買わないように申上げ
て置きましたが、同じ物を買うのに、たとえ二、三円でも余計出す
のは馬鹿らしいと考えましたので、芳野君等と一緒に昨日、
帽子とネクタイを買って置きました。帽子は先輩等の言を
参考に致し、少々高くついても、いい品を買って置いた方がよろしい
と思いましたので金十五円也の東京ハット濃いネズミ色のを
買いました。芳野君のも同じです。いいものは洗濯もよく利く
し、持ちも大分違いますし、体裁もいいですから、兵隊から
帰っても着られる様なのがいいと思いましたから。
ネクタイもどうせ三本や四本は入用と思いましたので、二本
丈買いました。両方で七円、合計二十二円也の買い物です。
洋服の方が学生の卒業繰上げと年末のため仕事が多いため、
ちょっと遅れましたのでその方をまだ支払っていません。が、少なく共
四、五日中には出来ると申して居ます。で、先月二十日過、二百
五十円御送付を受けましたが、其中、五十円は月謝と自
動車班費其他で支払いをなし三十五円は下宿代及食費
(中食費込)、八円余りは歯の治療費の一部として支出し、
二十二円を帽子等に費やしましたので、残額は百二十円余り
になりました。勿論、前述のもの以外に書籍代其他、送別会
の一部支払い、等々がありますから、そういう計算となる訳です。
それで、ワイシャツとカラー其他は、送って頂くとして、未だカフスボタン
を一揃い買わねばなりません。それに洋服代百五十円也の支払
いがありますので、また御願いをしなければならない様になりまし
た。今月分の諸支払い、荷造り費、帰省費、其他は別で
も又一緒でも構いませんが、洋服代不足分と
カフスボタン代三十二、三円、食費等経常費三十五円、帰省費、其他
荷造費、等々を合わせますと、八十六、七円御願いしなければならなくなり
ます。卒業となると三百円以上の金を費う訳です。全くすまない
と思います。銀行員となると一応は一人前の風体をせねばならず、
月給の少々は、すぐ飛んでしまいます。が、現役入営中は半額の
支給があるようですから、(今迄の例によると)兵隊に行っている間の入
金でまかないをつけるより仕方がありません。それにしても何かと
いえば金の費る世の中だと思います。僕が停年に達する迄
に、御父さん位の地位収入が獲られるかどうか。子供に僕が受け
た程度の教育を受けさせ得るかどうか。いささか心細い次第では
ありますね。然し、これ丈の学歴を持って出来る丈のやり度い
と思います。一生の半分は学校と兵隊で過して、結局自分で金
を儲けるのは、あとの半分ですからね。幸福といえば幸福ですね。
兵隊検査もあと一週間に迫りました。僕の予想では第一乙か第二乙だろう
と思います。何れにしても入営する様になりましょう。兵種決定、部隊決定
は十二月廿七日頃らしいです。丙種でも応召するこの時代、第一乙で入営する方
が大分いいとは思います。第二乙になると幹候にちょっとむつかしい様ですからね。
甲種にはちょっとなれないだろうと思います。ちょっと心配?なのは、
厚生省体力手帳に「要精密検診」の注意があるのです。例の二年の夏休み
の右肺の浸潤がレントゲンで少しみえるらしいのです。これで案外第二乙
になるかもしれず、丙種になるかもしれませんが、現在が至極強健なので、
問題にならぬかとも思います。検査官の裁量如何です。が、僕としては
こんなものにすがって、第三乙や丙種になるつもりはありません。
向こうがそうすれば仕方がありませんが、なるべくなら第一乙位で入っ
た方が少尉になる率が多いですし、若しかして運がよければ、
経理部の将校になれないとも限りませんからね。教科の成績は優
ですから、士官適化の推薦は貰える筈です。経理部候補生の試験
も、パス出来る自信はあります。まあ、出来る丈のことをやってみます。
あとは成行きにまかせます。それから、先日御願いした、褌の件、
出来たら至急御願い致します。
本日大阪銀行通信録受取りました。東京銀行通信録も受取ったこと
併せて御返事致します。                 早々
御父上様
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1枚目3行目の”扨て”は現代では使わないだろう。これだけを書かれたら”さて”と読めるかどうか自信がない。

手紙を書いた12月1日に増税があったので、前回”未だ買わない”と言っていた帽子・ネクタイ等々を前日(増税前)にちゃっかり買っちゃうところは相変らず”長男”全開である。小生の記憶では父親(小生の祖父)は”怖いおじいちゃん”のイメージがあったが、案外子供達には甘かったのかもしれない。

内容からすると既に”徴兵検査~召集~入隊”の流れは決まっていたようで、その際のランク分けの結果をかなり気にしている。甲種で合格し確実に将校へなれれば一番良いのだが、それ程身体能力に自信がない事に加え2年次に病気になった際の肺の浸潤が影響して、乙種どころか丙種になってしまう(そうなると将校にはまずなれない)かも…。と不安を吐露している。ただ学業が”優”なのでもしかしたら経理部の将校になれれば…と気を持ち直してもいる。
因みにこの年の7月に一度”徴兵徴収延期”を認められている。以下その證書である。

徴兵徴収延期證書

誰でもそうだと思うが、同じ兵隊になるなら出来るだけ上位階級になりたいし更には内勤(事務方)が良いと思うはず。その意味では恥ずかしい話ではないのだか、軍部等による検閲がされるとなると手紙・葉書の内容が大きく変わってくる。女々しいことは書かず勇ましいことが溢れるようになる。これは今後投稿する予定の三男が陸軍予科士官学校に入学した際の手紙・葉書をみると顕著である。

何にしてもこの頃辺りから一気に戦争の影響が増大し、若者の将来がそれに左右されてしまうのである。勿論若者以外の人々の生活にも暗い影を落としながら…。

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。