昭和19年12月28日 三郎から母千代子への手紙 母へは本音で甘えられる?…

さて、今回の投稿に入る前に、前々回の投稿まで3回程続けていた「素養検査二関スル筆記」シリーズに関してであるが以下の理由に因りダラダラと投稿する必要も無いと考え中断したのでご了承頂きたい。
・内容的に多少単調になりすぎてしまった感がある
・原典と思われる「歩兵操典」なるものが以下サイトにある事を発見

歩兵操典
http://www.warbirds.jp/sudo/infantry/souten_index.htm

 

…で、今回の投稿は昭和19年年末に三郎が母に宛てた手紙である。
父芳一へ宛てる時とは異なり本音を出しながら少々甘えている様子が伺える。
「我は将校生徒なり!」とは云ってもまだまだ17歳の青年である。

昭和19年12月28日 三郎から母千代子への手紙①
昭和19年12月28日 三郎から母千代子への手紙②
昭和19年12月28日 三郎から母千代子への手紙③
昭和19年12月28日 三郎から母千代子への手紙④

解読結果は以下の通り。
注)■■は芳一の知己で東京在住の方。
康男や三郎が上京した際にお世話になった。

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取急ぎて手紙を書きます。これは請願休暇(一週間一月五日夕食時限迄)で岡山縣の久世町に帰省
するものに(兼先一郎君)頼んで出して頂きますから學校の方へは内緒です。
正月には二日間(一日と三日、三十一日と二日と云う具合に)外出があり、又
一月の五日か八日に外出が一度ある予定です。正月には■■様方へ
行くのですが、もち米・小豆等が無い様です。この間の外出にはなけなしの砂糖で
ぜんざいをして下さって非常に嬉しくありました。この分では正月にも餅
はあまり食べられませんと思います。ほし柿等も絶対という程ありません。
かち栗等も良いです。この間等は九州の方のものですが餅を四角に切って
本の様なかたちにして學校へ送ってもらって外出の際持って出た
ものもあります。書籍・文房具等としてです。案外、學校等へ送ら
れるのは途中も安全ではないのでしょうか。
近頃は非常に家の事を思い出して居ます。こんな事では不可ないと思うので
すが皆外泊したりするとつい思います。思う様に行かぬ事もあったりすると。
學校では腹がすいた等は云えませんからね。甘い物もあまり(ほとんど)なく、つまらないと
思う事があります。外出すれば■■様で大分頂けますから唯一の楽です。
(菓子類は全然ありません。東京は)
腹巻(なるべく毛)が欲しいのですが。寒い時には良いですから。今頃は夜寒くて
毎晩かならず便所に一回起きるのですが、猛烈、嫌です。又便所が
非常に近くなって困ります。まるで老人の様です。
時計の「ケース」が欲しいのですが、防水だけではやはり直グ「ガラス」が割れて
もう二度こわしました。が■■様の隣の時計屋でなおして頂きました。
家に多分有ったと思いましたが[ケースのイラスト画]の様な格好のケースです。私の時計
の大きさを書きますと

[時計の実際のサイズ画]この位です。少し大きいですから無いかもしれませんが
懐中時計用でも良いです。

航空兵になると一月と三月頃に二度に卒業する予定です。
地上は七月か八月ですが。まだ兵科は発表になりませんが
七割位は行く様です。航空に行けば多分
休暇があると思いますが。私は船舶兵(地上)となって宇品に行き
たいのです。船舶兵の教育は宇品であります。倉野さんは
船舶で宇品に行って居られる筈ですが、一度宇品から手紙が来ました。
念の為、三月迄の外出予定日を書きますと
1月は五日、八日のどちらか一日(年始は外いて)二月十一日、三月は十一日です。
近頃敵機がひんぱんと帝都に来ますが、學校には爆弾は一つも落ち
ませんから安心して下さい。余り狙って居ない様です。
区隊長殿が変られてからはあまりおもしろくない様です。前田区隊長殿
は実は航空士官学校に行かれたのです。いつも前田区隊長殿の事を
思い出して居ます。実に良い区隊長殿でした。
康男兄さんからは其後通信ありませんか。康男兄さんの寫眞をいつも眺めて
居ます。芳子の女学生姿の寫眞等も欲しいです。
お正月には家内一同で寫って下さい。私も正月には寫したいと思ってゐます。
敬兄さんの徴兵はどんなですか。あまり無理は考えものですから。
では急いで乱筆お許し下さい。
十二月二十八日  夜

表書は■■様方としておきます。速達で出します。
それからこの間学校で皆行社の「さる又」、お父さんのはかれる様なやわらかい
茶色なメリヤスのものを買ったのですがどうしましょうか。送りましょうか、
もって居ましょうか。■■様に差上げましょうか。質は良いと思います。
軍足のやぶれたぼろぼろがあれば送って下さい。学校では新しいのと換えて
呉れますから。
風邪薬、腹薬、キヅ薬等少々お送り下さい。

(ここからは恐らく千代子がメモしたと思われる)
シモ焼薬 腹薬 キヅ薬 トケイノケース
干柿 菓子 餅 カチ栗
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三郎は正月の休みには何時もお世話になっている芳一の知己宅へ伺う予定なのだが、世の中(特に東京)の食料不足は深刻で御馳走はおろか甘い物一つ食べられなさそうな状況に母親に縋らざるを得なかった様である。

勿論学校には知られたくない内容(女々しい?卑しい?)が含まれていると思っており、更には(どさくさ紛れなのか)前区隊長を懐かしみつつ暗に現区隊長を批判する様な事も書いた上で
「これは請願休暇(一週間一月五日夕食時限迄)で岡山縣の久世町に帰省するものに(兼先一郎君)頼んで出して頂きますから學校の方へは内緒です。」
とある。(笑)
実際に封筒の消印は”19.12.31”と兼先さんが岡山へ帰省したと思われる日付になっており、翌元旦に千代子の元へ届いている。

食料の他にも腹巻や本来は学校に常備されているべき薬類も送って欲しいと書いている。
陸軍予科士官学校に於てさえこの様な状況であったのだから一般市民レベルでの物資不足は相当深刻だった事が想像できる。

「康男兄さんからは其後通信ありませんか。康男兄さんの寫眞をいつも眺めて居ます。」
11月9日にフィリピン島へ出征した長男康男の消息が一ヶ月以上途絶えているのである…