昭和19年10月31日に四国三島港(陸軍船舶司令部矢野部隊駐屯地)を出港した康男の部隊は一旦下関に逗留し11月9日に出陣となったのであるが、実際には11月10日に下関を出港したと思われる。
その際「不要衣類等返送小包」を実家の芳一宛に発送しているのだが、結果的にその時の「荷札」が康男の絶筆となってしまった。
もちろん芳一はその「荷札」を大事に保管していた。
遺書は遺っていない…
康男は生還を信じ、まだまだ遺書など書く段階だとは思っていなかったのであろう…
果たして親・家族にとって「遺書」が在ることが良いのか否かは判らないが、芳一が書いたと思われる【絶筆】の文字が悲しい…
因みに父親の命日が11月10日の小生にとっては偶然とは言え何かの因縁を感じずには居られないのである…