昭和14年7月6日 長男(康男)から両親宛の手紙

 

今回は松山高等商業学校の学生であった長男(康男)が夏休みを前に両親に宛てた手紙。便箋3枚に亘った”大作”で、解読も結構難儀であった。

身内宛のものではあるが、”拝啓”で始まり”御両親様”と終るところは礼儀正しい。が、内容的にはお金の無心をしたりして案外ちゃっかりしている。やっぱり長男だなぁと思う。小生も同じ長男だから…。

 

昭和16年7月6日 康男の手紙①
昭和16年7月6日 康男の手紙②
昭和16年7月6日 康男の手紙③

以下、小生の解読結果。

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拝啓 其後お変り御座居ませんか。当地は漸く梅雨も上った
様で今日はカンカンの夏照りでした。冷たい水が恋しい季節
となった様です。三次も相当日中は暑いことでしょうね。
朝晩は真夏でも涼しかったですね。夏休みは丁度避暑
に帰る様なものだとみんなで言っていますよ。ブルジョア階級と
同じですよ。まあ申分ない身分ですね。
授業もあと三日です。勤労奉仕が五日間で十五日の午後、
高浜港を出帆しようかとも思います。作業は大抵午前
中らしいですから。十五日に帰るとすれば九時か十時過三
次へ着くことになります。四時高浜出帆しても四時間みて
おかねばなりませんからね。芸備線の連絡も丁度いい具合
に行ったら、いいと思っていますが、未だ確定したわけで
はないですが。成可く、早く帰ります。
それから七月分の諸費用ですが、“経済講話”、
“英文学書”等買って帰りたいのですが、休暇中に読みたいのです。
帰省費は勿論費りますが、松山の名物も買って帰ってもいい
ですよ。ちょっと変わったのもありますからね。
それから先月靴を買いましたが、十八円余りでした。
あんまり安いのもどうかと思う様なのばかりで、まあ手頃と
思いました。何やかと色々買って貰いましたが、大体之で
揃った様です。只一つオーバが残っているんですが、之はまあ
後のことですね。現在、庭球と俳句をやっていますが、今度
勧誘に依いて絵画の同好会へ入ることにしました。勿論趣味
として悪いものでもなく僕も好きですから。先輩の大黒さん
も入っているし、僕と仲のいい人が居るので入る気になった
のです。休暇中に畫いてみる予定で道具が一揃入
用なのですが、そんなに高いものではありません。以上、
色んなものを合計して二十八円位必要だと思うのですが、
勿論余ったら持って帰りますから少々余分に送って
貰えばいいと思うのですが。又金のことで小生も心苦しいの
ですが、金を離れて生活も出来ませんので、仕方がありません。
十日頃迄に御送付願えれば幸甚です。
昨夜まで灯火管制で、小さな臨時試験があるので
苦労しました。
敬達は休暇が大分少くなる様で可哀想ですね。
然し僕等も来年はどうなるか予測できない状態です。
学生から夏休みを取ってしまったら実際意味がないですね。
それに教師は益々不利な立場に置かれますし。
教師の質的低下は必然ですから…。こんなこと言って
も、とにかく休暇丈は廃せない方がいいです。
あと十日間です。お体に気をつけてください。
  七月六日                   康男
御両親様
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続き文字に一層磨きがかかった様子で益々難解化してきた。大半の場合は文脈から判断できるが、固有名詞(名前や地名)の場合は漢字の読みがあやふやだと迷宮入りの可能性が高い。今回も”高浜港”の読みに今一つ自信がなくネットでググった結果、四国にその港があることで漸く確定出来た。

昭和14年の時点ですでに”灯火管制”が敷かれていたのには少々驚いた。実際に本土への空襲が始まるのはもっと後の事(昭和19年頃?)だと思うが、すでに始まっていた日中戦争の影響でこの頃から訓練が開始されていたと言う事か…。
また、弟(次男の敬)の夏休みが短縮される事を心配している部分があるが、これも戦争の影響が既に出始めていた証であろう。来年には自分にも…と感じており若者にとってはとてつもなく不安な時代であったと思う。現代の政情不安などとは比較にならない社会情勢だったことが感じられる。