昭和9年4月7日 康男(長男)広商入学

母方の実家にあった遺品の中から出て来た戦前~終戦後の手紙・葉書を投稿するが、基本的には時系列順で投稿する。

第一回目は長男の康男(小生にとっては大伯父にあたる人)が広島商業(旧制の商業学校で現在では中学入学にあたる)に入学。寄宿舎へ入るため母親の付添で広島へ行った際の状況を父親に送ったもの。

昭和9年4月7日 康男の葉書

十二、三歳の少年の書いた葉書なので全体的にはそれ程難しくもなく読むことが出来たが、それでも初っ端の”晝”がわからずググった。”昼”の事だったが、小生この年になる迄知らなかった。
また、当時では当たり前だったのかもしれないが”此(これ)、其(それ)、之(これ)”等はひらがなで書く事はあまりない。

小生が解読した内容は下記であるが、小生の無学に加え元々の誤字脱字等もあるので間違っている部分やおかしな部分があればご遠慮なく指摘して頂きたい。

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五日の晝、廣島に着きました。中村さん方で其の夜は
宿りました。中村さん方は非常に廣くきれいです。
其の日は雨が降ってうるさくありましたが、タクシーで牛田や
横瀬の方へ行きました。六日朝九時から入学式があり、教科
書や文方(房?)具や靴等を買いました。授持ちは紀本先生で
す。老人です。晝から寄宿舎に行きました。起床は六時
で九時に寝ます。昨晩はお母さんも寄宿舎で寝ら
れました。そんなに苦しい事はありません。学校まで
三十五分位かかります。僕は一年級の一組です。
今晩は新入生のかん迎会が舎であります。僕も何かやりま
す。敬や三郎やこよしさんによろしく。
さようなら    康男より
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両親にとっては次男以降とは違った意味で可愛い長男の商業学校入学。まだ戦争の影響もそれ程でもなかった時期であり、微笑ましい内容。
受持ちの先生を”老人”呼ばわりは笑ってしまった。
因みに 敬=次男、三郎=三男、こよし=長女の芳子のこと(小生の母で当時まだ2歳だった。)

前列右が康男