三郎の振武台日記 第7弾
今回は三月三日の日記である。
解読結果は以下の通り。
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三月三日 金
今日は風無く穏かな一日であった。
昨日の風はどこへやら。午前中は注
記、及び大掃除あり。外は非常
に気持よし。春めいて来た。
誰の(も?)家のことを考え居るらしい。少し
家の事を思い出した。この様な日
に模型飛行機を飛ばしたらと慨嘆。
午後は体操あり。生れて始めて
両木の上を通った。思ったよりやさし
いが、しかし矢張り恐ろしい。
将校生徒たるものはこんなことを言
ってはいけないが、お腹が空いてい
けなくなった。誰も食物の話をし
ていけない。こんなことではどうするか‼
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冒頭に起床時の様子が書かれていないので、漸くストレスなく起床以後の動作が可能になったと言う事だろうか。それとも毎日のことなので慣れてしまったからなのか…。
体操に関して”両木”という文言が出ているのだがこれが良く解らない。
まず読みが”りょうぎ”なのか”ふたぎ”なのか。またその設備がどういったものなのか。
多分高い場所で行動をするのであろうことは想像できるのだが。
とりあえず、遺品の中にそれらしきものも含め体操の写真があるのでアップしておく。
1か2のどちらかか、或いはこれらとは異なるものなのか。御存知の方いらっしゃったら御教示乞う。
ただ、全生徒がこんなに素晴らしくこなせたとは思えないので、三郎も相当苦労したのではないか。
特に1の写真など”えっ?”と云うほど殆ど曲芸の域である。こんな体操ができる生徒が何人いただろうか…。
下手をすると打撲・捻挫等は日常茶飯事だったのでは無いかと思う。
はしたないとは思いながらも”腹減った”と嘆いている。
食べ盛り、育ち盛りの若者たちばかりであったが、食料難の時代である。お代わりの制限があったのではないかと思う。その状況は理解していても”腹は減る”のである。何とも辛かったであろう。飽食の時代に育つことが出来た小生世代は感謝せねばならない。
あと”この様な日に模型飛行機を飛ばしたらと慨嘆。”とあるが、当時の模型航空教育に関しては次回の投稿にてご紹介する。