昭和18年 三男(三郎)陸軍予科士官学校受験志願~合格手続き 関連書類vol.2

前回の投稿で陸軍予科士官学校受験迄の手続きに関する書類をご覧頂いたが、今回は昭和18年9月20~22日の3日間実施された学科試験に無事合格した後、入校迄に届いた書類及び手続きに関して投稿する。
因みに前回投稿した書類を確認していて気付いたのだが、問題を解く事を”答解”と記載している。”解答”ではないのである。ネットでちょっと検索してみたが”解”と”答”がひっくり返っている事に関しての”答解”は発見できなかった。大した理由は無いのかもしれないがGHQの意向が反映されたりした結果なのだろうか…。

1.採用予定通知と応否届出

採用予定通知と応否届出

11月3日に採用予定通知が電報にて届いていおり、応諾の届出を同じく電報で送っているのだが遺っているのが控えの様なので送った日付等の詳細が不明であるも、おそらく当日に送ったであろうと思われる。
ちょっと面白いのは、大日本帝国陸軍教育総監部なるもの相当に厳格な役所だと思っていたのだが、前回投稿した”陸軍予科士官学校生徒志願者学科試験日割表及受験者心得”(えーい長い名称だなぁ。)に採用予定者への電報には「リクシサイヨウヨテイスグヘンケウイクソウカンブ」と記す旨書かれているにも拘らず、実際に届いた電報は「リクシゴ ウカク・スグ ヘン・ケウイクソウカンブ」と文言が違っている。案外いい加減な役所だったのか?と思ってしまった。まあ内容的には問題ないし、さすがにこれに対して「ナゼチガッテイルノデアリマスカ?」と問合わせる偏屈な命知らずも当時はいなかったであろう。(現代なら多分大勢いたと思うが…。)

2.陸軍予科士官学校生徒隊長からの父兄宛の御祝・挨拶状。(おそらく採用予定通知への応諾直後に届いたと思われる)

陸軍予科士官学校生徒隊長 榊原主計氏の御祝・挨拶状

これはちゃんと印刷(現代風に言うとプリントパックで制作)したもので、陸軍予科士官学校公式のものと思われる。(添付画像が読み辛いかもしれないがご勘弁願う。)
漢文混じりの”候文”で難読ワードが散見される。
例えば
・合格被遊:合格あそばす
・皇軍の禎幹:神(天皇)の軍隊の柱
・涵養:じっくりしっかりと育てる
・毎晨:毎朝
・明治節佳辰:明治天皇の誕生日(11/3現在の文化の日)であるめでたい日
と云ったものがある。
しかし、読んでみるとそれ程堅苦しい内容ではなく”御子息を大事に育てますから御安心下さい”的なもので、加えて”鶴首御入校の日を待つ”や”青年士官を要すること実に戦勝獲得の爲緊急缺くべからず”とか”入校せらるる日を偏に御待申上候”と戦況悪化に伴う軍部の人材不足を感じさせるような言葉が並んでいる。兎に角人材が欲しかったのであろう。
ただ、学校の指導者達は一生懸命に教育訓練し早く一人前の将校に仕上げるべく努力されていたと思うが、実際の歴史に於いては当時育てられた青年将校達が消耗品の様に消えていったことも事実である。

同じ様な内容の挨拶状が、廣島師団兵務部長からと陸軍予科士官学校富士隊隊長からも届いているので、これらに関しては次回の投稿にてご覧頂く。

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。