今回は三男(三郎)の父方の伯母さんからの手紙。
小生もあまり詳しくは知らないのだが、父親の芳一は婿養子で旧姓は”池田”だったようで、この池田久代さんは芳一の姉(妹かもしれない)である。
鉛筆で書かれているので少々読み辛いがそれ程難しい文言はなかった。
解読結果は以下の通り。
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大変暖かくなり春を思わせるようになりましたね。
先日はお便りありがとうね。
お便りによれば三郎さんも元気で御勉学
の事大変喜んで居ます。
私達も父亡き後は元気で大増産に精出して
居ります。安心して下さいませ。
今まで眠っていた草木も今や元気で伸び
行かんとする時、よき時候です。この時にをい
て三郎さんもしっかと勉強して立派な皇国
男子となって下さい。私達も増産に励みま
す。では暮々も大身大切に御勉学のほどをお祈
り致しお別れ致します。
かしこ
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女性であり当時としては当たり前だったであろう”かしこ”で結ばれている。現代ではあまり見られなくなった言葉である。
当時、女性は女性の、男性は男性の良さや役目がはっきりしていた様に思う。時代も移り変わり良くも悪くもそう云った状況は薄くなってきた。
男女平等が叫ばれて久しいが近年は”セクハラ”なるものまで喧伝される世の中。小生のような”昭和中世期生まれ”にとっては世知辛い。男尊女卑を肯定するつもりはサラサラないし、むしろ女性は敬うべきものと思っているが、ただ、世の中”生まれながらにしての平等”はそうあるべきと思うが、本人の努力具合や環境まで含めて”平等”にしてしまうとそれはもう”平等”ではない。
”差別・区別”の違いや”運・不運”を受け入れる(諦める)考え方もある程度は必要である。なんでもかんでも”差別”や”ハラスメント”にしてしまう考え方は恥ずかしい。況やそれらを他人を貶めたり自分だけ得をするための道具に利用するなど言語道断である。家庭であれ学校であれ”分別と恥を知り正直である人”を育てる教育が必要だ。それが道徳であり躾だと思う。
とは言うものの誰しも、こと家族、特に我が子の事となると冷静になれず、身勝手な立場に陥ることもしばしば。先の大戦下での生活はその最たる状況であったと思う。
しかし、そんな状況でも”あっ、これは恥ずかしいことなんだ。”を感じられる人になりたいものである。