今回は陸軍予科士官学校に入校した三郎に長男(康男)が送った葉書である。
小生、康男の文字は大分慣れているし今回の葉書は短いので特に問題となるような部分はなかった。
解読結果は以下の通り。
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前略 無事入校との事、父よりきき
安心した。愈々将校生徒としての研鑽
が始まる譯だが、兎に角早く環境に慣れ
る事が大切だ。未知なるものを畏れ
てはならぬ。進んで之にぶつかる事だ。
御前の知らぬ事、分からぬ事、辛い事、そして
やり難い事はみんな同じ様に分からぬ事で
あり、辛い事である事を忘れる勿れ。
入校の祝詞に代えて右の言葉を送る。
体には特に注意せよ。但し体は信頼に足るものだ。
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既に2年間の軍隊経験を積んだ先輩将校として、後輩にあたる三郎に対し訓示を与えている。13歳から寄宿舎に入りそれ以降10年近く実家を離れて生活していた康男からすると、中学4年までずーっと実家暮らしで父母に甘やかされて育った三郎が、いきなり陸軍予科士官学校と云う厳しい環境に入ることは相当心配だったのであろう。単純に”おめでとう、頑張れ”ではなく”当然厳しいのだぞ、心してかかれ”と檄を飛ばしている。康男にとっては6歳年下の”可愛い弟”であったろうし、三郎からすれば”頼りになる兄さん”であったと思う。
さて、この時康男は広島市内に住んでいたようなのだが、前回の投稿の時からほぼ1年経過しておりその間の軍歴を下記しておく。
昭和18年
6/10 兵站警備隊に転属
8/27 転属取止め
11/30 現役満期、陸軍少尉
12/ 1 予備役編入、引続き臨時召集
歩兵第百十二聯隊補充隊付
12/23 船舶司令部付特殊艇要員として
矢野部隊服務
昭和19年
3/ 1 船舶練習部学生
となっている。
昭和18年12月1日付で”予備役”となっており、平時であればこの時点で軍役と離れ”銀行マン”に戻っていた筈。しかし戦争はそれを許さず”引続き臨時召集”され船舶司令部に配属されるのである。
この”船舶司令部矢野部隊”が多分広島市の宇品にあったので広島市に居住していたのだと思う。