昭和19年4月20日 三原修さん(親戚?)からの葉書

 

今回は三次中学の後輩の三原修さんから三郎への葉書。多分母(千代子)方のいとこにあたる人だと思うが親戚関係に疎い小生の想像なので定かではない。

 

昭和19年4月20日 三原修さんからの葉書

解読結果は以下の通り。

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拝啓 櫻花萌え出づる新學期を迎えて僕は
元気一杯勝利の栄冠を期して勉強して居るよ。三郎
さんも元気だと確信して居る。来年度は僕は陸士と海
兵を突破しようと思って勉励して居るよ。僕の新學期
の主任は七教で成島(ヌス)先生だよ。思ったより親切で今
の所気に入って居るよ。三中からは今度五年山本(作木)
外五名の特別幹部候補生が出陣した。今日は剣道
部でチャンバラをしたよ。
父は今度、塩町の雙三中央青年學校々長として行った
よ。今度僕等は通年動員として工場に行き増産に
まい進する事になる話です。こちらは皆元気で異常なし。
                       終り。
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聞きなれない言葉で「特別幹部候補生」があったのでググってみた。
「特別幹部候補生」とは戦争の拡大により更なる補充が必要となった下士官を従来より短い期間で育成補充するために、前年(昭和18年)12月14日に勅令として制定され、翌15日に最初の召募が実施された。
葉書に書かれている
「三中からは今度五年山本(作木)外五名の特別幹部候補生が出陣した」
はその最初の採用者で、各地の実施学校へ入校(出陣)したものと思われる。

「来年度は僕は陸士と海兵を突破しようと思って勉励して居るよ」とあるので、新三年生であろう。
しかし平時であればいざ知らず、決して楽観視できない(どころかどう考えても悲観的にならざるを得ない)戦時下に於て、まだ14~15歳の「チャンバラ」を楽しむような少年が自ら進んで軍関係の学校を志願すると云う状況はやはり痛々しく感じる。

「お国のために」や「大切な人を護るために」と云う言葉に嘘が無いのは百も承知だが、本来であればもっともっと沢山のやりたいことがあって当たり前のはず…

「戦争さえなければ…」が本人や家族の本音だったのも間違いないだろう…