昭和19年5月16日 父芳一から三郎への手紙 「兄さんも光栄に浴したぞ…」

 

今回は父芳一から三郎への手紙である。

葉書とは異なり文字は大きいのでそれなりに読み易いのだが難読文字が幾つかあった。

 

昭和19年5月16日 芳一から三郎への手紙①
昭和19年5月16日 芳一から三郎への手紙②
昭和19年5月16日 芳一から三郎への手紙③
昭和19年5月16日 芳一から三郎への手紙④

解読結果は以下の通り。

注)■■は芳一の知己で東京在住の方。
  康男や三郎が上京した際にお世話になった。

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其後元気で勉強に訓練に励しんで居ると思う。
先日写真を送ったが、あまり上出来でないので、他人には
やらない。市中で写ったがよかったら、お前の友人などにも
やってもよい。森保君も来ない。
学友とは書面の交際はしているか。人は一生交際を忘れて
はいけぬ。殊に竹馬の友とか、戦友とかは又格別だ。
■■さんとお父さんとの如き、よい実例だ。まだお父さんには
別にも親友がある。友ほどよいものはない。己に勝る
よき友を撰び求めて諸共に と云う歌の文句の通りだ。
家には、敬さんが四月上旬、身体に異和を感じ、十一日夜突
然熱発。十八日に帰宅して以来三階で療養に努めて
居る。熱も下冷し状態は極めて順調だが、何分、体質が
弱いので、相当な期間静養さすつもりだ。一歩誤れば
死だから、大いに注意して居る。お母さんもお父さんも
一生懸命に養生さすべく努めて居るから別に心配するな。
お母さんもほとんど元の体に回復した。栄養物も可なり手に
入って居る。板木のおばあさんから、卵も切らさぬ様に送って下さる。
お魚も次々と手に入る。兄さんは先づ高級客待遇で
やって居る。
一寸、十四日午後四時頃、康男兄さんも帰宅して、敬に「安臥
読書器」を買って帰ってやった。敬は喜んでそれを使っ
て毎日読書して居る。
■■君の家へ先日ウドンを六束送って置いた。何分近頃
よいものが手に入らんので困る。
お前は、菓子、果物など、外に不自由はないか。
身のマワリ品で入用の品あれば様子せよ。出来るだけ
送ってやる。
近頃、外出したのか。暑くなるから身体に無理をせぬ様
充分注意して、勉強せよ。
銀行の隣りの代々木巡査の御長男も先日、豫科を済ませて本
校に入られたらしい。私の宅へも一寸挨拶に来てくれた。
区隊長は矢張り前田大尉か。河村君達も無事か。区隊長
河村さんなどには一応手紙を出しただけだ。又最近手紙を
出すつもりだ。
康男兄さん、まだ当分宇品に居るらしい。六月末頃四国方面
へ転属になるかも知れんが不明だ。
三次も大分暑くなった。今年は畑のものがよく出来た。お父さん
が熱心にやるので、馬鈴薯も大分大きく伸びた。夏豆も
長く伸びて花ざかりだ。夏休みにはお前にも御馳走するよ。
三中の先生や友達にも時々通信せよ。
此頃、中等学校も国民学校も食料増産に一生懸命で、学
課の方は一ヶ月十日位しかやらないらしい。
近所にも前に変りはない。
身体の調子がよくない時は、早く受診して養生せんと
いけぬ。健康第一だ。
康男兄さんの所へも先日、高松宮、東久邇宮さんが来られて
一週間食事も一緒であったらしい。光栄に浴したとのことだ。
夜分寸暇でもあればハガキを送れよ。
では大事にせよ。■■さんへも時々ハガキを出せよ。
五月十六日 午後五時半 認む
父より
三郎さん
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芳一が社交的な人間であったことは以前このブログでも触れたが、三郎へも「友ほどよいものはない」と説いている。
小生が芳一の”社交性”を実感したのは芳一の葬儀の際(小生が中学卒業直前の昭和50年3月)に、当時外務大臣だった宮沢喜一氏からの弔電が届いた時である。
弔電が読み上げられると式場が「ほうー」とざわめき、小生も驚くと同時にちょっと鼻が高くなった気がしたことを覚えている。
まあ、宮沢氏と直接面識があった訳ではなく偶々氏の選挙区に住んでいたので秘書或いは後援会の方と面識があったからではないかと想像するが、いずれにしても人脈は豊富であった様である。

療養中の敬の様子、回復(?)した母の事、食料・物資の調達が難しくなってきた中でもなんとか栄養のあるものは調達できている事などが書かれている。
但し、三郎に余計な心配をさせまいとしているだけかも知れず本当に調達できていたかは疑問であるが…

先日の三郎からの手紙にあった「天長節大観兵式での拝顔の光栄」に対し、長男康男も「高松宮、東久邇宮さんが来られて一週間食事も一緒」だったと報告がされているのが微笑ましい。

「夏豆」とは枝豆のことだと思う。
芳一は小生が子供の頃も我が家の裏庭で枝豆を作っていた。
たわわになった枝豆を引っこ抜いて鞘の部分を手でしごいて落とす。
今にして想えば、採れたての枝豆を湯がいて食べるのは最高の御馳走だった…