今回は三次中学同級生のMさんからの手紙。
このブログにも何度か投稿しているMさんの文書であるが、内容もさることながら丁寧かつ綺麗な文字に感心することしきりである。
小生の同年齢時代の文字など恥ずかしくて…
解読結果は以下の通り。
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三原君、直ぐ手紙を出そうと思っていたのだが陸士の受験や、それに
引続いて中学校の中間試験等で一寸忙しくて、つい今日迄延びた。
陸士の学科試験は五月二十八日から三日間あった。君も知っていると思
うが、今年は第一次と第二次の試験があり、第一次合格者を二十八日夕方発
表して、その合格者のみ第二次を受けられるのである。小生は修道中学校
で受験した。柳原、山田とは宿舎は一緒だったが、二人は廣凌中学だ
った。第一次の問題はやや簡単だった。それでも出来のよくない者が
いた。第一次で半数に近い受験者は激励の言葉に送られて退いた。
それから第二次の試験を受けたが、第二次は難問ばかりだった。数学は
六題中三題しか完璧でなかった。実に残念だった。君はどの位、去年
やったのかな。物象とても難問ばかり。試験官小田大尉(タルピン
教官によく似た人)の話では「今年は難問だった様だ。それで一般に出
来が悪い。だから心配する事はない。」とあった。合格者は七月中旬発
表され、八月一日より十二日迄の間の二日間、陸豫士校に召集し
身体検査を受けるのだ。入校は何時になるのか判らない。
小生は今年は駄目ではないかと心配している。第一次試験合格者(思
い出せる者のみ)は、中村、日南、新田、柳原、米沢、船重、伊達、吉川(大キイ分)
山田、岩竹、北条、小生等である。福永、百問、米村、大西、片山、森戸、
下山、等は失敗した。栗本、宮迫、等は志願を取消した。
次に、三中にも時代の大波は打寄せ、
『學徒動員令遂に下る』 いよいよ三中の四五年は呉海軍工
廠に六月十日より来年三月三十一日迄、通年動員に馳せ参ずる
事になった。六月三日にはその壮行式があった。我等は、
「今日よりはかえりみなくて大君のしこの御楯と出で立つわれは」の
精神で喜んで参加する。所ははっきりしないが、
「呉海軍工廠小倉工員寄宿舎」らしい。くわしくは後で知らせる。
しかし、週に六時間の授業があるのだ。又上級學校受験等は喜んで
させて貰える。海兵の試験は七月二十日から一週間ある。
あっー。君には知らせていなかったが、小生は海兵の体験はパス
した。中村、波多野をはじめ全員体験にはパスした。
君の去年の成績その他、注意事項があれば知らせて呉れ。
「河野デカ生徒」に出会う機会があれば試験の事等知らせ
てやって呉れ。
君は猛訓練をやっている事だろう。君の事だ、すべてを首尾よく
やっている事と思う。
君に貰った古文の本、大切にして勉強している。
君の事を思うと感無量だ。
では体を大切にして張切って進んで下さい。私も今度は
必ず軍隊(軍部學校)に入って御奉公しようと思う。
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三原 三郎 殿
歴史問題
一、 楠正成の精神の景仰復活せる主なる史実について説明せよ。
二、 明治三十七、八年戦後について、左に答えよ。
㈠ 原因 ㈡戦勝の理由 ㈢亜細亜民族への影響 ㈣大東亜
戦争との関係
地理
一、 メナム、メコン、イラワヂ川ノ通過せる国名を記せ。
㈠ その地方の気候の特徴 ㈡人文に及ぼせる影響について
答えよ。
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大戦の激化による将校不足を補うために募集人員を拡大した陸軍予科士官学校であるが、予想を上回る応募数だったのか二次選抜制を実施したようである。
簡易スクリーニング的な一次試験でふるい落としを実施したのであろう。
しかしながら戦時下での当時、これ程までに若者達が軍関連学校に応募した理由は何なのか?
戦争が激化し一般庶民が召集令状(いわゆる赤紙)にて徴兵される時代である。どうせ戦争に征くなら下っ端の一兵卒よりは将校として征きたいと考えるのが当然であろう。
単に「お国の爲」だけではなかった筈である。
呉海軍工廠への通年動員の命令が下された旨が書かれており、
「今日よりはかえりみなくて大君のしこの御楯と出で立つわれは」
と云う防人の歌が引用されている。
この歌は戦時中にお国の爲に戦地へ赴く軍人の心構えと気概を示したものとして大いに喧伝されたらしいが、万葉集に於ける防人の歌は家族との別れを悲しんだり故郷に思いを馳せたりしたものが殆どで(ある解釈によると)この歌も同様に「家族や故郷との別れに耐え出兵しよう」と努力している気持ちを現したものらしい。
Mさんがどの様にこの歌を解釈されていたかは不明だが、相当な「家族や故郷との別れに耐え」る努力が必要であったことは想像に難くない…
最後の4ページには歴史・地理(おそらく陸軍予科士官学校)の問題が書かれている。
意図は不明であるが三郎が「教えて欲しい」とお願いしていたのかも知れない。
ところで「タルピン教官」って誰?…