昭和19年5月30日 父芳一から三郎への手紙 コストパフォーマンス?貧乏性?ケチ?…

 

今回の投稿は芳一から三郎への葉書。

相不変(「相も変わらず」当時の様に記してみた…)特に葉書の場合は極小文字で解読し辛い我が祖父の文字であり読む側にとっては結構な苦痛なのだが、今回も時候、家族の近況、ご近所の状況等々四方山話満載の一葉となっている。
まぁ、コストパフォーマンスが高いと云えば聞こえは良いが…(笑)

 

昭和19年5月30日 芳一から三郎への葉書

解読結果は以下の通り。

注)■■は芳一の知己で東京在住の方。
康男や三郎が上京した際にお世話になった。

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三次も時下大分夏らしくなり、日中は相當暑くな
った。振武台にも同様夏が訪れた事と思う。もう夏衣裳だ
ろう。暑くなると訓練も相當なものだろう。血気にはやって
躰を損わぬ様充分注意せよ。人間の躰力にも大体程度
があるから、無理をすると敬兄さんの二の舞を演ずる事に
なる。兄さんも大分無理して居たので体が負けた訳だ。
それでも一ヶ月余りの静養で余程よくなって、大分肥った様に
思う。勿論熱もないし食べるのもよく食べる。康男兄さんから買って
貰った安臥読書器で毎日読書して居る。芳子も元気で通学
してる。お母さんも元気になった。近所にも変りない。久留島さんが
尾道に転宅され、後へ十日市青年学校長に就任した正君の親類の
太田章校長が転宅して来て賑やかになり、よいものをチョイチョイ
戴くよ。康男が二十八日に帰って二十九朝一番で又行った。六月一杯
は動かぬらしい。藤川は六月中に休職で帰るとかお父さんが
云って居た。■■さんから手紙で礼状が来た。二十一日に待たれたらしい。では
元気でやれ。十日市の小川新聞店のオジサン死んだよ。
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芳一はケチだったのか?
いや、ケチではなくモノを粗末にしない人だった。

チリ紙や爪楊枝は一度使ったくらいでは捨てずポケットに仕舞って何度か使っていた。
夏にスイカを食べた後は残った皮の部分を漬物にすると言って芳子(芳一の娘で小生の母)を面倒くさがらせていた。
食パンにカビが生えていても「その部分だけ取って焼いて食べれば大丈夫!」と芳子の制止を振り切ってムシャムシャ食べていた。
小生に「お茶碗にコメ一粒も残すな!」と躾けてくれたのも芳一だった。

とまあモノが溢れている現代の感覚からすれば「ケチ臭い」かも知れないが、生活必需品ですら貴重であった戦中~戦後を経験した芳一や同世代の人々にとっては当たり前の「勿体ない」であった。

そもそも日本人の感覚に於て「勿体ない」とは「物に対する畏敬の念や感謝」であり「損得勘定」よりも優先されるべきコンセプトの筈であるが、現代社会は利益を貪るあまり「勿体ない」を蔑ろにしているのが実態であろう。

「衣食足りて礼節を知る」と云うことわざがあるが、見た目の綺麗さや(過剰な?)清潔さを求めるあまり多くのモノが「粗末」にされている現在の状況を目の当たりにするにつけ「衣食足り過ぎて礼節を忘れる」と云うことわざも有りだなと感じる小生である…