今回は芳一から三郎への手紙から。
四日前に手紙を出したばかりであるが、家族全員が気になっていた末娘の女学校受験の結果発表が前日(三月二十七日)にあり、これを早く知らせるべくの葉書である。
解読結果は以下の通り。
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大分暖かになった。其後元気で勉強しているか。
当方一同無事。芳子も首尾よく女学校入学
考査に合格。四月五日に入校通達が昨二十七日
にあった。(午前十時発表)。是れで先づ一安心だ。
芳子へお祝いを云ってやってくれ。三次の国民学校も
縁切りとなった訳だ。兄さん二人も無事で勤務して
居る。康男兄さんの写真が出来たから一、二日の内に
送ってやる。近頃通信がないが体は元気なのか。忙しく
て書けぬのなら別に書く必要もない。元気で明朗に
勉強せよ。三中の上級校に受けた連中どう云う成績か
まだハッキリせぬが相當に難関らしい。お母さんからも手紙
を出す筈。健康に留意せよ。
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芳子が無事女学校に合格した。
小生の母であり、既にこの世にはいないのだが何かとても嬉しい。
万歳である。
家族全員が気にかけていたイベントも上首尾に終了し、皆一安心である。
「三次の国民学校も縁切りとなった訳だ」という芳一の言葉に実感がこもる。
長男の康男に始まり芳子まで16年続いた国民学校とのご縁が漸く終わったのである。
世間一般のことかも知れないが、末娘であった芳子は三人の兄達に比べ父(芳一)にとても可愛がられていたことは先日の「閑話休題」にも書かせて頂いた。
小生が子供の頃、母(芳子)は
「戦時中の米が無く麦や芋ばかり食べていた時に、兄達がいない時には父が床下から白米を出して自分だけに”白いご飯”を食べさせてくれた」
と言っていた。
そのくらい芳一は芳子を可愛がっていた。
その芳子も漸く女学生になった。
本来であれば「万々歳」の筈であった。
戦争さえなければ…。