三郎の振武台日記 第11弾
今回は入校式翌日の三月七日の日記から。
修正・削除部分が多くて少々読み辛いが、特に難読文字は無かった。
解読結果は以下の通り。
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三月七日 火 曇
本朝は一般に起床が後レ
タ。起床ラッパが聞えなかった。こんな事
では不可ない。最少し緊張を要する。
午前中 中隊長殿の訓話あり。
修学の心得は大いに有意義であ
ると思う。特に修学の態度は
「将校生徒ナリ」と云う事を忘れな
いことであるということは必も肝心で
ある。
上級生に対する心構え等も
守るべき良い道だと思う。
夜、母より書簡あり。読みて家の
事を考え、不覚にも涙浮かぶ。何
だ女々しい。我は将校生徒なり だ。
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当時の国語授業の影響なのか、時折カタカナ文が顔を出す。
今後投稿する三郎の手紙には漢字とカタカナだけのものもあり、パソコンでの変換に苦労した。
起床ラッパが聞えない程熟睡していたと云う事の様だが、昨日の入校式での興奮と緊張が疲労となって出たのかもしれない。
中隊長の訓話の内容がどんなものだったのかハッキリとは解らないが、「修学の心得」や「上級生に対する心構え」等の言葉から推し量るに以前投稿した内容にあった「軍人勅諭」を元にした訓話であった様な気がする。それらを総括すると「我は将校生徒なり」になるのだろう。
夜、部屋に戻ったら母(千代子)からの手紙があったとある。
以前投稿した”昭和19年3月4日 母(千代子)から三郎への手紙”である。
我が子を軍隊に獲られた母親の悲しみと息子に要らぬ心配を掛けまいとする心情が入り混じった手紙であったが、それは三郎にも伝わったようで故郷を思いながら涙している。
現代の様な単なる一人暮らしであっても親にとっては淋しく悲しい気持であるのに、戦時中の軍隊への上京である。母と息子の心情は察してあまりある…。