今回は三月八日の日記からなのだが、このメモ帳にある日記はこの日を最後に終わっている。
一応、「三月九日」の記載は最後の部分にあるのだが…。
別のノートに続きを書いたのか、或いは止めてしまったのかは不明である。
解読結果は以下の通り。
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三月八日 水 晴 大詔奉載日
昨夜は少し寒かった。身体を横にし
ては不可ない事をつくづく覚った。
だが、今朝は起床は第一番であった。
嬉しい。これを続けよう。
午前中 区隊長殿の靴の手入れ、ソノ他
の学科、実際、等あり。又もや
軍隊の小さな事までも系統的
整理的に書物までになっているの
に驚く。十三時より大詔
奉載式あり。中学校の式
とは一寸が異うが米英撃
滅の決意を新たにした。その後区
隊長殿の禮式令の学科有り。そ
の後理髪に行く。理髪の早い
のに驚く。明日の参拝が嬉しい。
明日の晴天を祈る。
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”不可ない”は”いけない”だが、多分現代では全く使われていないだろう。
”身体を横にしては不可ない”とは、掛布団と身体との間に隙間が出来て寒いからと云うことであろうか。それにしても結構な寒さではある。
”起床”に順位があったようである。おそらく集合場所への整列の順位なのではないかと思うが。また数千人にもなる生徒全員の中でなのか、学年或いはクラス全員の中でなのか…。詳細は不明であるが、何にしても1番は嬉しいであろう。
7行目の”実際”の意味がちょっと解らなかったのだが、その後に続く”軍隊の小さな事までも系統的整理的に書物までになっているのに驚く”の内容からすると”軍隊の実際の現状”と云った意味の教科なのではないかと思うが…。もし御存知の方がいらっしゃったら御教示乞う。
”大詔奉載式”とは太平洋戦争完遂を目指して開戦直後の昭和17年1月2日に制定された国民運動のこと。開戦日に当たる毎月8日の”大詔奉載日”に行われた集会の様なもので、当時の内閣告諭には”官公衙、学校、会社、工場等において詔書奉読式を行ふこと”とあるので、ほぼ全国で一斉に行われていたようである。
小生も小学校の先生から「昔は朝礼で全校生徒が皇居の方に向って最敬礼をしていた」と云う話を聞いたことがあるが、こんな話をしていたと云うことは”日教組”に染まっていない先生だったんだなと思う。
まぁ、こういった行事が行われていたのだから、”米英憎むべし”の感情が生まれるのは当然の事であったろう。
因みに本日(令和元年五月二十六日)はアメリカのトランプ大統領が国賓として国技館で大相撲を観戦し、取組後の表彰式では”米国大統領杯”の授与を行った。今昔を感じた今日この頃である。
明日9日は三郎たち新入生は東京へ行き、皇居・靖国神社・明治神宮へ参拝し入校報告をすることになる。この様子は今後の三郎から父(芳一)への手紙にてご紹介する。