三郎 振武台日記 vol.6

 

 

 

三郎の振武台日記 第6弾。

今回は三月二日の日記から。

昭和19年3月2日 三郎の日記

解読結果は以下の通り。

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三月二日 木
今日は非常に風が強い。寝台
の中で起床前窓ガラスがガタガタ
となっていたので乾布摩擦が気
にかかった。午前中は中隊長殿の
訓話。殊に皇室の御殊遇に対する
感激を永續させよと云われた。
其後葉書を五通ばかり書く。
午後校長閣下の閲兵あり。
非常に風強く砂塵モウモウ。
顔なんか真黒となる。外出服
装して嬉しかった。
それから入浴。氏名の注
記等あり。
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一つだけ聞きなれない言葉で”御殊遇”だが、天皇・皇族に対する特別に良い待遇の事らしい。詳細は分からないが皇室典範等に則った作法や儀礼の事ではないかと思う。

寒風吹きすさぶ様子が窓ガラスの音から伝わり”乾布摩擦いやだなぁ~”と云う気持ちで目が醒めたようである。
今後の投稿にも記載するが、この日は校長であった牧野中将の退任式があったようなのだが、日記の内容から推測するに新入生は式に列席していない様子であり、その間に中隊長の訓示やら自由時間(葉書かき)があったと思われる。

午後の校長閣下の閲兵式には参列したようで、その際に外出用の制(軍)服を着ることができて嬉しかったと云う事であろう。

最後の氏名の”注記”がちょっと解らなかった。”衣服や持ち物に氏名を記入すること”だと思うのだが、現代では”記入”の筈で”注記”だと”注意書き”の意なのだが…。当時はこう云う言い方があったのか、或いは別の漢字なのか、御存知の方いらっしゃったら御教示乞う。

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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