今回は日記シリーズ第二弾 昭和19年2月26日の日記なのだが、振武台二日目の日記はたったの5行しかない。
しかも翌27日の日記は25日の裏ページに書かれており、26日は破り取られたページに書かれて挟まった状態になっていたので、後から書かれたものと思われる。
忙しくて書き忘れたのかもしれない。
解読結果は以下の通り。
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二月廿六日
軍人生活第二日目。午前中は前日に同じ。
午後は身体検査。廿四日の
續き。内科一般、尿、等々検査
あり。今日ではん決が下るのだ。
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午後は一昨日の続きで身体検査があったようで、この検査結果に何らかの異常があったりすると”入学取消し”や”区隊変更”になる場合もあったらしい。
それを踏まえての”今日ではん決が下るのだ。”であろう。
以前投稿した中で父(芳一)が2月28日にとんぼ返りで学校訪問した事を記したが、ひょっとするとこの身体検査に於いて何らかの異常が見つかり、その件で学校側から呼び出されたのかも知れない。
これだけでは少々淋しいので、メモとして残されていた整理棚の様子や落書きをアップしておきたい。
まずは整理棚の様子。
最上段:剣道防具、柔道着、飯盒、背嚢、
上段:帽子、衣類(外套等)
中段:ひざあて、ひじあて、作業着、寝間着
下段:ゲートル、石鹸、下着類、手袋、銃器手入具
壁掛:水筒、麻袋、手拭い、襟布等干し
などが、整理整頓されている様子がわかる。
おそらく、毎日風紀委員がチェックし整理整頓されていないとこっぴどくやられたのであろう。小生も30年位前に”管理者養成学校”なるところでやられた記憶がある。会社の教育制度の一環であり当時半ば強制的に参加させられたカリキュラムであったが、今思えば良い経験であったと思う。
オマケであと2枚アップする。
これは”決意表明”のようなものか…。
こちらは”落書き”。男子はやっぱり飛行機に憧れる。
17歳と云えばまだまだ幼さの残る歳である。本来あったはずの楽しい時間を犠牲にしてまでも国家や家族を護るために戦ってくれた先達の姿を知れば知るほど感謝するほかない小生だが、振り返って現在の我が国。果して国防に携わって下さっている方々に感謝出来ているだろうか…。