昭和19年3月11日 三次中学の同級生から三郎への手紙 vol.1

三郎が陸軍予科士官学校に入校して半月ほど経つ頃、入校直後に郷里の友人に送った手紙への返信が続々と到着している。

数が多いのと友人達の進学状況の報告等、内容的に重複する部分もあるので2~3通纏め数回に分けて投稿する。

今回は三次中学校時代の同級生、SさんとFさんからの手紙(2通)。

最初はSさんからのもの。

昭和19年3月11日 三次中学の同級生からの手紙(Sさん)

細かいが丁寧な文字なので読み易かったが、それでも数ヶ所迷った部分があった。
解読結果は以下の通り。

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拝復 元気の由 何より嬉れしく思いました。
僕も相変らず元気で居る。少しは生活に馴れたか。
君達と別れてから早や二旬にもなるか。月日の経つのは早いもの。
其間ずい分変わった事もあった。
先づ三月六日の卒業式。午前十時始め。優等生は五人
                                                                            (中村、地川、藤井、
                                                                                             徳永、重信)
皆勤者十五名(?)善行者二名(尾茂、柏原)…最大の名誉なり。
兪々最上級生となった。天井が急に広くなった様な気がする。
而し一面何となく淋しい。三月十日陸軍記念日。六里の強行軍。
各学級競走だ。殆んど走り通しだった。僕は一年の三学級の
小隊長の補佐。全学年中第三位を獲た。一寸嬉れしかった。呵々。
十四日から暗渠排水に行く。三次は大変な風と霙、あられ、雪だ。
風紀生は目下十一学級の全生。なかなかやって居る。
悲しいかな四年生は高校全敗か。至極残念。だが来る十七、八日の専門
学校に必勝を期している。
君の母校の爲の御奮闘と御健康の程を御祈り致して乱筆
ながら筆を置く。後日又ゆっくりと。              不一
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まず、”暗渠排水”である。字は読めたのだが意味を知らなかった。要は田畑の水捌けを良くする方法のことで、農業に従事されている方ならどなたでもご存知らしい。小生の無学が恥ずかしい。
この時期、戦局の悪化に伴い食料増産のために農地の開墾整備が全国各地で行われ、これに学生達が動員されていた。山間の盆地である三次近辺もあちこちで暗渠排水が施工されていた様子が覗える。
もう一つ”霙(みぞれ)”が読めなかった。三次は広島県の中でも雪の多い地域で小生が子供の頃も30~40センチ位の雪はちょくちょく積もっていたので、3月中旬ならまだまだ雪や霙は降っていただろう。
”不一”と云う結語も珍しいかも知れない。あれやこれやと色々書きたいことがあって全部は書ききれないという事であろう。
あと、”呵々:大声で笑うさま”も現代ではほぼ使うことはないと思う。

卒業式の事に触れているが”優等生”と”皆勤者”は解かるとして”善行者”とは?基準が知りたくちょっとググってみたが不明。御存知の方がいらっしゃったら御教示乞う。

陸軍記念日の六里(24キロ)の強行軍は大変であろう。小生の頃もマラソン大会等で10キロ程度の長距離走はあったが、その2.5倍はきつい。普段から訓練していて初めて歩ける(走れる)距離である。まあ、現代に比べれば普段の運動量も数倍だったと思うが…。

続いてFさんからのもの

昭和19年3月11日 三次中学の同級生からの手紙(Fさん)

こちらも丁寧な字で読み易く不明な部分はなかった。
解読結果は以下の通り。

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先づ貴方の入校を祝す。
其の后元気の由、何よりだ。小生も普通並にやっ
ている。今は五年も三月六日を以て業を卒へ四年の
天下となった。然し前者の轍を見て五年の如き無
暴悪辣なる態度はとらない積りだ。新五年生に
倣いて我が三中は必ず栄達の途を逆るであろう。殊
に貴方等の陸士合格は指揮を鼓舞する上に大
なる影響を及ぼすものと信ずる。小生高校突破
の野望を抱きしも、之前途を暗澹たらしむる一つにして
今後直ちに国家の要望する所に向って再起勉励する
覚悟だ。下らぬ事を述べたが今後も度々便りする。元気で。
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旧教育制度では飛び級制度があり、旧制中学校では4年修了で旧制高校や専門学校へ進学するのが優秀とされ5年生に進級するのはあまり名誉なことではなかったらしい。
それと絡んでか、或いは単に学年間の仲が悪かっただけなのか、5年生のことをかなり悪く罵っている。しかし自身は高校入試に失敗したようで続いて実施される陸軍予科士官学校や海軍兵学校の入試へ励む旨書いている。よほど5年生にはなりたくないらしい。

中学4年生とは現在の15歳で(他の同級生達の)手紙の内容などからも高い教育を受けている事が判るのだが、意外と競争・成績の順位や受験の合否に関して無邪気に一喜一憂する感がある。これは旧制中学自体が既にエリートであるという自負に加え、戦争という重圧が”生存競争本能”を鋭くしていたのではないかと思う。
今回投稿の葉書の中でも”高校全敗”とか”専門は必ず”等の話題が出ており、この後投稿予定の他の同級生の葉書でもこの”生存競争本能”が噴出する。

小生の頃の”落ちこぼれても何とかなるさ”は存在せず、多少誇張して言えば”落ちこぼれ=死”を意味していたのかもしれない。

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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