父、母と続いて最後は長男(康男)からの手紙である。
先日の両親に宛てた手紙では、将来にかかわる重大な「お願い」を述べていたが、弟への葉書には勿論そんな気配すら見せてはいない。
解読結果は以下の通り。
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拝啓 早や春風が武蔵野を渡って
いると思うが、其後どうだ?
二十一日には初めて引っ越をしたそうだね。
嬉しかったろう。写真を撮ったか、早く御前
の制服姿を見たいものだ。もう一か月を
過ぎるから、もう相当板についていると思う
が。芳子も無事女学校に入ったから安心
すべし。どうやら御父上も一安心というところ
だね。俺も相変わらず元気で御奉公している。
敬も増産戦士の一員として頑張っている。近々徴兵
検査だ。とにかく頑張ってくれ。 早々
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本ブログの最初に投稿した葉書の内容にもある様に、康男は13歳の時に親元を離れて広島商業学校での寄宿舎生活を始めており、17歳で初めて親元を離れた三郎を多少冷やかしつつも、その新鮮さを懐かしんでいる様子である。
現代の様にネットやケータイの無い時代であるから(それは小生の若い頃も同じであったが…)やはり写真の需要は大きい。
父も母も兄弟皆「写真は撮ったか?」の大合唱である。
以前の投稿にアップした三郎の制服姿の写真は4月9日に撮影したものなので、この時点では撮れていなかった。
訓練は忙しいが家族の要望にも応えなければならず三郎も大変であったと思う。
芳子の女学校合格の報せの後に、次男(敬)の徴兵検査の事が書かれている。
小生は、敬が軍隊に入ったと云う話は聞いたことが無く、またそれらしき書類なども残っていない様なので恐らく入隊しなかったのだと思う。
但し、今後の手紙にその辺りの事情が出てくるかもしれない。
現代の様に便利な時代ではなかったが、その分家族間の愛情の密度が濃かったように思えるのは小生の気のせいだろうか…。