ここの所、三男(三郎)がメインの投稿が続いていたが、今回は久し振りに長男(康男)から父(芳一)への手紙。
前年(昭和18年)暮れに船舶司令部付船舶練習部学生として広島市に居た康男であるが、訓練に励みながらも日々重くのしかかってくる戦争の重圧と戦っていたことが読み取れる手紙である。
解読結果は以下の通り。
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拝啓 其後皆様御変わりありませんか。
芳子の試験発表は本二十七日と承知していますが、如何なる
結果でしたか。多分大丈夫だろうとは思っていますが、
未だ何も通知を受取っていないので、いささか心配している
次第です。何分の御報告を御願い致します。
三郎からは其後、何んとも言って参りませんが、あれも
多忙を極めている事と存じます。小官は相変らず
任務に邁進、毎日学科に実習に修練に励んでいます
から、何卒御休神下さい。五月一杯は当地にいる筈ですが、
それ以後の事については未定。多分四国へは行く様に
なると思っています。下宿も非常に居心地によろしい
家で、早や三ヶ月御厄介になった譯です。
五年生になる女の子、一枝ちゃんは「全優」の好成績で
御褒美?に東京の方へ行っています。一人ですよ。
但し、友達の御母さん達と一緒ではありますがね。芳子なんかに
比べて数段しっかりしている様に思えます。然し、早熟という
こともあまり感心した事ではありませんから、良否は判断
の限りではありませんね。夏ノ軍服、上下を少し絞っていただ
ければと思っていますが、どんなものでしょうか。うしろの方はよろしい
様ですが、前の方がちょっと思わしく無い様でしたからね。
御父さんの方で猿又が入用なら金巾とメリヤスのを各一衣
買ってありますから。サイズは100です。
さて、次は小生一身上の問題、結婚についてですが、
御父上、御母上のご意見を伺いたく存じます。
未だ早すぎるか、或は、地位が不安定だとか、
小生としましては、貰ってもいいと思っています。 というのは、
第一 招集解除が何時、之を望めるか、果して、完全なる解除
がありて地方に帰る事が出来るか、
第二 現在の地位が安定していやすい様に考えていられるが、果して
之以上に安定する時が来るか、どうか。軍籍、特に現在の如き
任務にある以上、移動は常の事です。こんなことを嫌って
来るのを嫌う娘なんて、勿論いない筈ですが。
第三 之はあまり感心した事ではありませんが、小官に若しもの
事がありたる場合、勿論覚悟はされていると思いますが、小官
にも覚悟は常の事ですが、斯様な場合、三原家の長男
として後継者をも残せず、御両親の御面倒を見るべき
「娘」もいない事は、子として、長男として、忍び難い事
である事。
第四 部隊の方としても、奨励している事。猶現在、五月迄が
一番手続は容易なる事は先般部隊長殿より話しが
ありましたから、蛇足乍ら付け加えて置きます。
まあ、ザッと以上の様な理由で、どうせ貰うべきものは
早々貰って置いた方が都合がよかろうと思っている次第
です。但しまだ決定的に御両親に要求する程度では
ありません。経済的なる問題も考慮に入れなければなりません
し、其他の対人関係も勿論考慮外にある事は許され
ません。 で、御両親の御意向をはっきりとお伺いし度いと
存じている次第です。貰うとすれば、此時節、相当慾が
張れるのではないか(之はちょっと思い過ごしですかね。)とも思っ
ていますが、之は一生の重大問題で軽々に扱う事は
出来ませんがね。対象として求むべき相手の条件は一度
申上げた事もありますが、
一、 肉体の健全にして容姿は上の部
二、 明朗にして頭脳は明晰なる事
三、 家庭に関しては御両親に御委せします
四、 時に空閨を守り、三原家に在りて円満に生活を営み得る事
五、 年齢の差は 四―六 程度
大体以上の如き条件を満足さすべき人物です。
とにかく、二四才:の貧乏少尉では早すぎるか、もう二、三年
待ってみる方がよろしいかどうか、人間としての完成
とか、経験とか、いう点よりみて、早すぎるか、
或は、貰い度ければ、貰うのもよかろう、とか、何とか、
明確なる御返答御願い申上ます。重ねて申しますが、
小官としては、「是非」というのではありませんが、左様
御承知の上、御考慮を願います。又小生の方として
現在心当たりは更にありませんから、其点御心配無き
様老婆心迄に申上げます。 小官も子供ではありません
ので、結婚という事に就いても、二十四年間の極めて
浅き学識と経験からではありますが、相当考慮は致して
いる心算りです。先は御願迄。 早々
御両親様 康男拝
この様な問題で御両親の頭を悩ますのは早すぎると思召めさば、全然何も
御考慮下さらなくても結構です。又、適当なる機会が到来するまで待ちますから。
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難読部分は2枚目7行の最後の文字が読めなかった。
猿股の数え方は通常「枚」なのだが、字面から「衣」とした。
さて、内容の方は
妹(芳子)の女学校受験結果のことや三郎のこと、自身の近況等を一通り書いた後に、手紙の大半を結婚についての「願い」に割いている。
二十四(満年齢であればこの時点では二十二)歳の青年である。現代であれば結婚を焦る年齢ではない。
当時の結婚観が現代と異なっていたことを差し引いても、”どうしても”と云う年齢ではなかったであろう。
部隊の教官から結婚に関し何らかの”薦め”があった様ではあるが、直ぐに結婚したい女性がいた訳でもない様子である。
焦る理由は唯一つ。
「戦争」である。
練習生としての訓練期間は決まっており、その時が来れば戦地へ向かわねばならない。
我が国があれだけ大規模な戦争を行っている状況下である。
三郎の様に志願して軍関連の学校に進んだ者は多少心構えが違ったかもしれないが、戦地に赴くことが決まった人々の多くは
「いつまで生きられるのだろう」
と云う恐怖と戦う毎日だったであろうと思う。
小生含め戦争を経験していない世代にとっては”徴兵される・戦地に征く”と云う状況は、漠然と「恐ろしい状況」としか理解できない。
戦地での恐怖が想像を絶するものに違いないことは理解しても、そこに至るまでの「ガンで余命宣告された」ような期間のことを想像することはなかなか難しいのではないかと思う。
将にその「余命宣告」の期間の真っただ中にあった康男からの「結婚についてのお願い」である。
これを読んだ時の両親(芳一・千代子)の気持ちを想像すると涙が止まらなくなってしまう小生である。
戦争が終わった後に、「こんな事書いてましたねぇ。ハハハ。」と笑って話せる日が来ることを願っていたはずなのに…。