三郎 振武台日記 vol.3

 

三郎の振武台日記 第三弾は昭和19年2月28、29日の二日分

2月24日に入校以来まだ数日しか経っておらず、馴れない事だらけの中で奮闘している様子が良く解る。

まずは27日の日記から。

昭和19年2月27日 三郎の日記

解読結果は以下の通り。

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二月廿七日
本日は軍服を着用するのだと勇んで
起きた。軍服を着、軍帽を着用す
ると名実共に豫科の生徒らしくなった。
十一時頃、父に逢った。これから当分
逢えないと思うと何となく変な気
持がしたが、父に軍服姿を見せて
非常に嬉しい。父も喜んで呉れたと
思う。それから、衣服類一切の適
合があって、色んなものをもらった。
官給品を無くすると榮倉に入る
のだと河村班長殿が仰言った。
大いに注意すべきものだ。
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良く解らなかった部分としては最後から4~5行目の”衣服類一切の適合があって”の部分。”適合”ではおかしい様な気がするのだが、外に”適合”する語彙を思いつかなかった。サイズ合わせの様なものだと思うのだが、解かる方いらっしゃったら御教示乞う。

やはり軍服を身に着けるのは嬉しかったようだ。何と云っても制服を身に着けることで気持ちがシャンとする。しかも初めて着る軍服となれば一入であったろう。
しかも父に逢って晴れ姿を見せたとある。父子ともに嬉しかったであろう。

ここで訂正なのだが、以前の投稿では27日に父(芳一)は三郎に逢わないでとんぼ返りした旨の内容であったが、実際は面会していた。3月10日の芳一の手紙には”逢わずに帰ったのは済まぬ事をした”とあるのだが、どうやら三郎の友人に”逢わずに帰った”事を詫びているらしい。

”榮倉”は懲罰房のことであり軍隊にあったことは知っていたが、陸軍予科士官学校にもあったとは初めて知った。千人を超える生徒が共同生活をしている中で、皆同じ衣類を支給されるのであるから、悪意の有無はともかく”紛失”は頻繁にあったのではないかと思うが、それで営倉行きはかなり厳しい。三郎も”大いに注意すべきものだ。”と書いているが、全くその通りである。

続いて28日の日記。

昭和19年2月28日 三郎の日記

解読結果は以下の通り。

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二月廿八日 月
起床後非常に忙しい。顔もゆっく
りはあらえない。も少し早く寝
具をたたむ様にならぬといけない。
午前中は学科の租(素?)養検査あ
り。大体やったつもりだが、どうだか。
それにつづいて小銃、銃剣の授与
式あり。小銃二五一九〇番
銃剣九九二一五番を授与された。
午後、体操の租(素?)養検査有りし
も変更されて小銃の手入を行
われる。銃に傷をつけると処
罰されるそうだと聞いて肝をひやす。
夜は自習。点呼、遥拝、就寝。
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おそらく日記は就寝前に書いているのだと思うが、筆跡から察するにかなり急いで書いている印象がある。少しでも早く寝たいのであろう。当然文字も読み辛いが、何とか解読できた。

起床の号令から集合までどれ位の時間があるのか判らないが、かなり忙しい様子である。
布団をもう少し早くたためる様にならねばと書いているが、後の妹(芳子)の手紙の中に”兄さん(三郎)の嫌いだった床を私が敷いている”と云う一節があり、三郎は布団の敷き・たたみが好きではなかったようだ。(まあ、基本的に好きな人は少ないと思うが…。)

入学間もない時期なので最初の素養検査(三郎は”租”養と勘違いして書いている)が各学科に於いて実施されている。今日で云う”学力テスト”のようなものか。

その後に小銃・銃剣を授与されている。もちろんこれらも高価な官給品であり傷をつけたりすると処罰(多分営倉行き)の対象となった。

振武台の事をググっていたところ、NHKアーカイブスに 昭和天皇が振武台を行幸された時のビデオがあった。実際の訓練の様子等も撮影されており日記の内容等もイメージし易くなると思う。以下にリンクを張って置くので是非ご覧頂きたい。

チャプター【1】大元帥陛下 陸軍予科士官学校 行幸
因みに、昭和18年12月9日撮影 三郎が入校する2ヶ月半前の事である。

https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300569_00000&seg_number=004

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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