昭和19年3月22日 三次中学の先輩 陸軍士官学校Yさんからの葉書

 

今回は三次中学の一学年先輩で既に陸軍士官学校(神奈川の相武台)生徒であったY先輩からの入校を祝福する葉書から。

以前の投稿で陸軍予科士官学校(振武台)が完成した当時の新聞の切抜きをご紹介したが、元々東京の市谷台にあった士官学校が神奈川の相武台に移転。その後市谷台に残っていた予科士官学校が埼玉の振武台に移転しており、三郎の一学年先輩にあたるYさんは陸軍士官学校の生徒であった。

昭和19年3月22日 Y先輩から三郎への葉書

解読結果は以下の通り。

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星、輝く御紋章の下に、金に輝く星を
見事かちえられたること、誠にお目出度く
存じます。期もよし六十期。一大勇猛心
を発揮して武将街道を驀進せられん
ことをスタートの必要なるは何事にも
同じ。今三中十九期の児玉中佐殿が
士校にいられる。じゃがさんと同期。高崎
の演習地にて御会いした。君の云う通り先輩
に負けず頑張ろう。では又。
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4行目の驀進の「驀」は葉書の文字と若干異なるが他に適当な字が見当たらなかった。略字か誤字ではないかと思う。他に難読部分は無かった。

児玉中佐と”じゃがさん”も三次中学の先輩の様である。生徒が全国津々浦々から集まっているからこそ、同郷の先輩・後輩の繋がりが強かったのであろう。

この葉書は士官学校から出されたものであり、宛名書面に「検閲済」の印が押されている。だからと云う訳かどうか解らないが、あたりさわりのない無難な内容になっている。
同級生と先輩と云う違いもあるので一概には言えないが、以前投稿した同級生からの手紙にあった進学や故郷の話等は書かれておらず「余計なことは書かない」と云った空気が感じられる。
一説によると当時の検閲に関しては「膨大な量の手紙や葉書を内容まで全て検閲するのは無理があり実際にはそれ程厳しくはチェックされていなかった」という話もあるが、少なくとも軍関係施設では厳しく実施されていたようで、それなりの効果はあったと思われる。

 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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