昭和19年4月3日 三郎から父(芳一)への手紙

 

今回は三郎から父(芳一)への手紙。

入校後1カ月が経過し、漸く学校生活に馴染んだ頃であるが、逆に教科や訓練が本格的に忙しくなって便りを書く暇もない状況の様子。
漸く二回目の外出日に芳一の知人宅に伺い、手紙を認めている。

 

昭和19年4月3日 三郎から芳一への手紙①
昭和19年4月3日 三郎から芳一への手紙②

解読結果は以下の通り。
注)■■は芳一の知己で東京在住の方。
 康男や三郎が上京した際にいろいろとお世話になっている。

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大変長らくご無沙汰致しましたが皆様お変りない事と思います。
私も其後元気で学科に術科に励んで居りますから御安心下さい。
芳子合格の通知、父上様母上様の両通共確かに受取りました。
少し便りが遠のいたとの事、何やかやと忙しくなり隙が少しなくなりましたか
ら悪しからず。手紙が無い時は元気な時とお思い下さい。
今日は四月三日。神武天皇祭第二回目の外出です。「この手紙も
便箋も封筒も皆■■様に戴き書いて居ます。■■様方で。」
今日は少しお願いがあります。それは成るべく四月三十日迄に■
■様方へ御送付願い度いのですが、出来得れば、それは、文法教
科書、詩集(父上様が持って居られると同じ様なのを私が持って居ましたから)
それに康男兄さんの古い襟布二、三枚。それから、下痢止め腹薬(アイフ
等)、感冒薬等を少々と、便箋、封筒、切手(七銭少々、一銭三十枚)等、それ
から白の手袋(軍手でない、目の小さい)があれば、一つ二つ。康男兄さんのお古
でよろしい。なければ良いです。写真も五月中旬位迄には出来上り、お送り
致します。夏季休暇も今の所、八月中旬にある予定です。
兵科志望もそれまでにあるかもしれませんが、お考え願います。
それから、■■様方へ何か良い様にお願い致します。これも一緒で
良くあります。外出すればかならず立寄らねばなりませんから。
それに度々御馳走に與りますから。
では、今日はこれで筆を置きます。

芳子へ
先づ、お芽出度う。多分大丈夫とは思いながらも発表まで
は落ち着かず、少々は心配していたが、合格したとの事、安心した。
入校日ももうすぐだろうが、入校したら皇国の女学生として、
勉強に、勤労に邁進して行きなさい。
兄さんが夏休みに帰る時には、立ぱな女学生になって居る事だろう。
写真にでも写ったら送れ。
では元気で明朗に通学せよ。
では又
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今回投稿した手紙は表裏両面に書かれており、通常通りにスキャナーで読込むと裏面の文字が透けて非常に読み辛かったため、黒い用紙を被せてスキャンした関係で全体的に暗い感じになってしまった。
文中に書かれているとおり便箋が少なくなったので節約しているのであろう。

「今日は四月三日。神武天皇祭第二回目の外出」とあるが、この日は初代天皇である神武天皇の崩御日にあたり当時は祭日とされていた。
ネットでググてみたところ、『日本書紀』によると崩御日は3月11日であるが、これをグレゴリオ暦に換算して4月3日としているとのこと。
初代天皇の崩御日が ”3月11日”と云うところに因縁を感じるのは小生だけだろうか…

芳子の女学校合格への祝辞も送っている。
他の家族同様に”一安心”と云うことである。

兎にも角にも久し振りの休日外出に羽を伸ばしている三郎であった。
 

投稿者: masahiro

1959(昭和34)年生まれ。令和元年に還暦を迎える。 終活の手始めに祖父の遺品の中にあった手紙・葉書の”解読”を開始。 戦前~戦後を生きた人たちの”生”の声を感じることが、正しい(当時の)歴史認識に必要だと痛感しブログを開設。 現代人には”解読”しづらい文書を読み解く特殊能力を身に着けながら、当時の時代背景とその大波の中で翻弄される人々が”何を考え何を感じていた”のかを追体験できる内容にしたい。 私達の爲に命を懸けて生き戦って下さった先達を、間違った嘘の歴史でこれ以上愚弄されないように…。

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