昭和19年4月3日 三次中学の先輩・陸軍士官学校生徒のYさんからの手紙

 

同級生達から三郎への便りが連日届く中、中学・陸軍予科士官学校の先輩であるYさんからも葉書が届いている。

同郷の後輩に対する激励の様な内容であるが、「将校生徒」とはいえ軍に身を置く立場としての内容となっている。

 

昭和19年4月3日 先輩Yさんからの葉書

解読結果は以下の通り。

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振武台遥かより春が訪れて、元気一杯練武学修
中の御事と存じます。小生益々元気にて勉強中。
四月下旬御面接の機を得ることが出来ると思う。
元気で真面目に御奮斗を祈る。入校以来ひしひし
感じているだろう皇恩の如何に我等将校生徒
に厚きかを。深き御めぐみに応え奉るべく、この超
重大時局に将校生徒の発足をした君達の
自奮自励を祈る。佐々木、中西が帰ったら
全部で話そう。それまで元気で。 失礼
四月三日
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Yさんは三次中学の先輩でありかつ、陸軍予科士官学校(この時点では既に神奈川県の陸軍士官学校生徒)の先輩でもある方で、父(芳一)からも「Yさんに負けない様頑張れ!」と目標にされるほどの優等生であったらしい。
手紙の文面を見ただけでも軍人としての矜持とも云うべきしっかりとした教育訓練を受けている事が想像できる。

ただ、書面から感じられるような生真面目な秀才タイプの人物だったのであろうか?
上述したようにYさんは当時、神奈川県の陸軍士官学校(相武台)の生徒であり、今回の葉書は「相武台から振武台」への軍関係機関間での郵便物であり、かなり厳しい検閲がされていたものと思われ、あらぬ疑いを懸けられないようにある程度「良い子」を装っていたのではないかと思う。
これら軍関係機関間の郵便物には、家族や友人からのものにはない【検閲済】の印が押されており、送る側も受取る側もそれなりの神経を遣っていた筈である。

「四月下旬に佐々木、中西(このニ方も三郎の先輩?)も含めて話をしよう」とあるが、そこではひょうきんな先輩になったりしたのかもしれない…