今回は三月六日の日記から。
この日は三郎たち新入生の入校式の日で、日記の内容からも興奮覚めやらぬ様子が覗える。
幕末の尊王攘夷に燃えた志士と同じ”ナショナリズム”と云う感情であったのだろう。
そして、このナショナリズムこそが当時の将校生徒たちに与えられた唯一の感情の発露だったのかも知れない。
※入校式の様子は、5月9日投稿の「昭和19年3月6日 陸軍予科士官学校(振武台)第六十期生徒入校式の様子」の添付写真をご覧願いたい。
解読結果は以下の通り。
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三月六日 月
本日は俺にとっては一生涯忘れ得ぬ
歴史的な日だ。即ち軍人に正式になった
日だ。校長閣下代理幹事閣下
の厳かなる命下「谷川尚以下四千七百
二十三名は陸士予の第六期生徒を命ず」
とあり、それから生徒隊入隊式有り。
御真影奉拝アリ。此の日の
感激一生なんで忘られん。この感激
を頭にきざみこんで我が修養の
鞭となさん。あゝ遂に予士の
生徒となったのだ。皇国日本を
背負う青年将校の奨学地たる
予科の生徒となったのだ。此の上
は一意専心やるぞと盟う。
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四行目の”谷川尚”は代表生徒の名前であろう事は解かるのだが合っているか自信がない。
また、最後の行の”やるぞと”の部分も良く解らなかった。まあ、大勢に影響はないと思うのでこのままスルー。
”此の日の感激一生なんで忘られん”など、意識してかどうか解らないが、文章も漢文チックになっておりかなり幕末の志士風になっている。
因みに、三郎も読んだであろうと思われる、昭和19年2月15日出版の「通俗幕末勤皇史(徳富太郎著 目黒書店刊)」が祖父の遺品の中にあったので、その表紙だけアップする。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
吉田松陰の辞世の句は今も昔も若者たちの心をかきむしる…。