昭和19年2月28日 三男(三郎)陸豫士官学校入学 父(芳一)からの葉書

昭和十九年四月九日 三郎十八歳 陸軍予科士官学校にて

今回は陸軍予科士官学校(振武台)に合格し入校した三男(三郎)に父(芳一)が送った葉書。

長男(康男)の手紙・葉書で大分続き文字に慣れたつもりの小生であったがこの芳一(小生にとってはじいちゃんなのだが)の文字はしんどい。とりあえず”解読結果”は以下の通り。
注)■■様は東京在住の芳一の知己。長男(康男)に続き三郎もお世話になっている。

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多分大丈夫とは思い乍らも不安の裡に二十七日学校
に行き、即日帰郷。或は区隊変更等の事あるを聞き、生徒
隊長殿の御挨拶を承って一先安心した。そして正服姿のお前
を見て嬉しく思った。此上は諸先生殿の御命令を尊奉して
一意勉学に精進し、三中代表者として恥ぢざる将校生徒
たるに専念せよ。それには食事と運動に留意して身体
の健康増進が第一である事を常に念頭に置けよ。お父さんは
二十七日午後九時三十分発急行にて福塩線経由二十八日午後六時に無事
帰宅したから安心せよ。■■様へ礼状を差出して置けよ。
挨拶状は書いて送ってやるから、そちらから発送せよ。詳細は又
手紙で通達する。同僚と仲良くし皆の世話をする事を忘る
なよ。先輩加藤美明君に従えよ。父母はお前の健生を祈る。
では帰郷通達まで。当方は一同無事。母も元気になった。恙し
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難読文字のオンパレード。何なんだこれ?って感じである。受取った側は本当に読めていたのだろうか…。
即日帰郷、生徒隊長殿、聞き、午後九時三十分発急行、福塩線、等々判読できたのが不思議なくらいの象形具合である。加えて文字が小さいのが難易度を増している。最後の”恙し”も暫く解らなかった。
内容は、多分この一週間くらい前に三郎に付添って入校手続きに上京(埼玉であるが…)したはずなのだが、何かの心配事(学校側から何か問題があって区隊変更するかもしれない旨の連絡があった?)があり、三郎には黙って再度学校へ行っている。何が問題だったのかは不明だが、生徒隊長と話をして一安心したと書いている。当時、広島それも結構山奥の三次からの上京は時間も費用も相当かかったと思う。さらに戦況の悪化に伴い列車の便も少なくなっていた様だから余計であっただろう。短期間に二度の上京しかも2度目は”とんぼ返り”と来れば疲れない理由がない。
小生が思うに、芳一の心配もさることながら恐らく母親(千代子)が”行ってきなさい!”と芳一の尻を叩いたのではなかろうかと…。母は強しなのである。